命ある者の旅 MT-10・戦闘後
降誕
……
「聖徒」は巨大な体躯を引きずり、隊の最前列を進む。レミュエルという名のサンクタは今も周囲を飛び跳ねて、手品のように次々と銃を取り出しては、彼女に火力を浴びせていた。
しかしその時、「聖徒」は今一度振り返った。
彼女の頭上の光輪が光を放つ。遠く離れたところにいても、パトリツィオには彼女の「声」がはっきりと聞こえた。
間違いなく、共感は強まりつつある。それは、この長い旅が終わりに近づいていることを意味していた。
パトリツィオ、あなたの親愛なる友のことは、ほかの同胞に任せておきなさい。我らが弔う必要はありません。
聖徒閣下……
あの木攀獣の子を覚えていますか?
我らが目的地へと辿り着けば、ラテラーノは生命の奇跡を——あらゆる奇跡を再現することでしょう。
どういった意味合いでしょう?
今は、前へと進むのです。
大規模な隊列が、聖像や銃工房の前を通り抜けるたびに、街には少しずつ明かりが灯っていく。
パトリツィオは無言で歩き出した。
と……止まってください。
製銃士の若き弟子が人の流れに逆らい歩き、ついにはパトリツィオの前に立ちはだかった。彼女――ヴァンニーニは、自分より遥かに大きな銃騎士に向けて銃を構える。
二人の横を通り過ぎていく隊列は、誰一人としてそれに目を向けようとしない。ヴァンニーニは唇を噛みしめて、腕の震えを必死に抑えようとしていた。
……
ああ、製銃士見習いの子じゃな?
師匠は……どこですか?
あやつは……
師匠が、警告してくれたんです。だから、夢の中で、わ、私は……工房に隠れてました。目が覚めてからも、ずっと迷っていて……
今のあなたは……すごく怖いです。ラテラーノも、恐ろしい。何が起きているのかわからないし、私はまだ、守護銃も持ってないし……
それでも、ずっと隠れて、待ってるだけじゃダメだと思って……
だからおぬしはその銃を自作して、ワシを止めに来たと?
はい。
実に勇敢な子じゃな。
しかしお嬢ちゃん、この隊列が見えんのか? 我らは奇跡を育んでおるところなんじゃ。ほとんどすべてのラテラーノ人が、そこに関わっておる……
これは「恐ろしい」ことなどではない。
そんなの……知ったことじゃありません。
話すのは、苦手なので……こ、これ以上強い、否定の言葉は……思いつきませんけど……
師匠は、たった一人の家族なんです……
私とラテラーノの間にある、唯一の、繋がりなんです。
唯一の繋がりか……
パガ、夢の中で光輪を得られなかったおぬしが、なぜ隊列におったのだ?
そりゃ……お前をぶっ殺すために、紛れ込んだに……決まってるだろ。
……
あのスナイパー……お前の元教え子じゃ、ないか?
……
やりきれない、だろ……?
……
ジーアが去った時と、比べて……どうだ?
……
まだ……あの化け物の、言う通り……隊列を守りながら、前に進む……つもりなのか?
……
お前の考えなんざ……お見通しだぞ。
五十年前のラテラーノは、お前に、感染したリーベリを、追放することを強いた……そして、十年前のラテラーノは、堕天した銃騎士を、追放することを強いた……
そして今じゃ……お前の孫娘にも、偏った思想が芽生えてる……もしかすると、いつか、あの子のことまで……
だから……より良きラテラーノとやらを、望んでるのか?
それが叶えば、ラテラーノは……急に腕を上げた医者みたいに、鉱石病を治したり、性格の欠点を直したりして……全員が、無条件に……お互いを受け入れ合えるように、なるって言うのか?
そうなりゃ……お前が経験してきたような、別れは……二度と、起こらないって言うのか?
……
ごほっ……パトリツィオ、お前はつくづく……臆病者だな!
アイスが、いつかは溶けるみたいに……銃が、いつかは壊れるみたいに……別れも、いつかは来るもんさ。
それを、止められなくたって……そうなった時、祝福の言葉、くらいなら……かけてやれるだろ。さよならの、一言だけでもな……
お前は……ヴァンニーニみたく、言葉が不自由なわけでも、ないんだ。少しでも、後悔を減らす方法を……見つけるくらい、難しくもない……だろ? ごほっ、ごほっごほっ……
それ以上喋るな、気を強く持て!
気を、強く持てだと、ごほ、ごほっ……こいつは……銃騎士の甲冑だって、貫通しちまう、弾なんだぞ……
いいから……最後まで、話させろ。でなきゃ、すぐ逝っちまうぞ……
わ、わかった……
なんだ、その態度は……勝手にしんみりしてんじゃねえぞ、パトリツィオ……!
俺がどうして、お前を助けたと思う……!?
災厄だの、国の危機だの、ラテラーノの行く末だのは、関係ねえ……
ラテラーノが本当に滅ぶとして……俺たちは、得体の知れない化け物に頼るしかないのか? 考えたこともないような生き方を、受け入れるしかないってのか!?
アウレラやフィアメッタ……それに、お前の知る、たくさんのラテラーノ人……そいつらとの絆を、そんなに脆いもんだと思ってるのか!?
*ラテラーノスラング*! お前は銃騎士だろ! ラテラーノで、一番優秀な銃騎士だろ!
げほっ、ごほ、ごほっ……
パガニーニの口調は激しさを増し、一方で、その声は次第に小さくなっていく……
旧友を抱きかかえたパトリツィオは、その手のひらに伝わる温もりが次第に失われていくのを感じていた。それは今の言葉を最後に、彼の生命力が尽き果てたかのようだった。
なあ……何か言ったらどうなんだ……?
……
まあ、いい……育児聖堂でも、言った通りだ……この数十年間、俺たちが本当の意味で通じ合ったことなんざ、一度もなかった……
だが、今は……少なくとも、その後悔は……なくなったよ。
師匠は……
すまない……おぬしをパガの死に目に会わせてやれなかった。
ううっ――
わ、私がもっと早く、銃を作れてたら……もっと早く、ここに来られたら……
ヴァンニーニは呆然と顔を伏せ、それから周囲の人波を見渡した。今にしてようやく、自分の状況を認識したかのように。
すると、彼女の光輪が突然明滅し始めた——心の防壁が揺らいだ瞬間、無数の人々の共感が、この迷える孤独なサンクタを飲み込まんとして押し寄せたのだ。
いかん!
お嬢ちゃん、銃をしっかり握るんじゃ!
くっ……
その瞬間、パトリツィオは痛みを感じた。だが、続いてやってきたのは——聖徒や、祝福されし生物、そして隊列の同胞からの優しくも拒絶を許さぬ慰めだった。
自分の想定外の挙動を感知されたのだ、と彼は悟った。激しい共感が、川に流れ込む海水のように襲いかかってくる。
はぁ――
パトリツィオはめまいを覚え、ため息をつくと、ゆっくりと身をかがめた。
それからしばらくして、老いた銃騎士は見習い製銃士の銃を握り、銃口を彼自身へと向けさせた。
お主の名は――ヴァンニーニじゃな?
……
ヴァンニーニよ。どんなに遅くなっても、そしてそこに至ったのがどんな動機であろうとも、おぬしは人生初めての守護銃を作り上げた……よくやったな。おぬしはもう立派な製銃士じゃ。
しかし、それだけでは足りん。その使い方も身に着けんとな。
今が、その絶好の機会じゃ。
ど、どういうことですか?
震えるでない——うむ、そうじゃ。気を静め、それから、引き金を引け。
ですが、師匠を殺したのはあなたじゃないんですよ。それに、私も堕、堕――
パガのことはワシの責任じゃよ。とはいえ、奴の仇討ちとして撃てと言うておるわけではない。
今この瞬間、ラテラーノは新たな道を歩んでおる。信仰と信仰が交わり、新たな目標が集団の共通認識になりつつあるのだ……
おぬしは隊列に近付きすぎた。このままでは共感に取り込まれてしまうじゃろう……そこから抜け出すには、堕天するしかない。
おぬしが無事に抜け出したあとは、ワシがほかの者たちを導こう……これはワシの、銃騎士としての責務じゃ。
よくわかりません……どうして、こんなことをするんですか?
……
自分でもよくわからんのだ。ははっ、ワシはとっくにボケとるからのう。
ワシはずっと、楽園が真の楽園となれば、我らの繋がりは決して断たれぬものになると信じておった。
しかし、その過程で、すでにより多くのものを失っていたとしたら……
これまでの後悔すべてに対して埋め合わせをしたとして、思い描いていたような円満な未来は訪れないのではないか?
我らがかつて悪魔であり、共に罪を背負っていたのなら、その繋がりが断たれることなどないだろう。
となれば、信仰の寵児、栄光に溢れしサンクタよ、何を恐れることがある?
(苦しげに息を吸う)
地獄へ落ちることを恐れるな、ヴァンニーニ。
これはおぬしが学ばねばならん最初の教訓じゃ……ワシにとってもそうであるようにな。
ほんとキリがないわね……
この調子で戦い続けてたら、そのうち武器でぶっ叩くしかなくなっちゃいそう!
こっちもよ。
私もそろそろ腕が上がらなくなってきちゃったよ。
フィアメッタはどうしてるかな。あの子が爆薬を仕掛けたら、こっちで区画ロック装置を爆破して、聖マルソー区全体を切り離すことになってるのに……
そうすれば、あの怪物たちを大聖堂から完全に隔離できるはず。
まあ、そこまで持ちこたえられたらの話だけど。
飛散の矢!
ここは私が引き受けます!
その格好……
ランデン護衛隊のヒルデガルト、臨時戦闘部隊、単独編成にて、援護に参りました!
ランデン……? ごめん、知らない名前だな。
お気になさらず。慣れてますから、あはは。
あの隊列には、サンクタの同僚が何人かいるんです。私と同じで、仕事の途中で呼び戻されて、それから……あのようなことを経験することになりました。
何と言いますか、今回のことはすべて嘘で、ランデン修道院は実際には教皇庁に重用などされていなかったわけですが……
私がここにいる限り、ラテラーノの心に「ランデン修道院」の名を刻むチャンスはありますから!
とにかく、あの怪物たちは見た目こそ不気味ではありますが、雪山に閉じ込められた獣ほど厄介な相手ではないでしょう。
矢は十分に持ってきましたし、射撃の腕には自信がありますので、しばらくは私が食い止めてみせますよ!
でも私たちはもうへとへとなのよ、お嬢さん。策も力も尽くしてきたけど、後退させられてばっかりで。
これのどこが清算だの、決着だのって呼べるんだか。結局また苦労しに帰ってきただけじゃない。
モスティマ、約束の時間まであと少しよ。あのレミュアンって人からはまだ連絡ないの?
区画ロック装置の防御を解除できなかったら、その装甲すら破れないかもしれないんでしょ?
この辺りで手を引いたほうが良いと思うけど。
あの隊列が大聖堂に着いたとして、それが何? 皆似たようなサンクタになるだけなんでしょ?
正直、そんなこと私たちみたいな異端者には関係ないと思わない?
周りを見てみてよ。ここには何十人もいるのに、まともな光輪なんて一つもないのよ? ようやく駆け付けた応援だって、リーベリのシスターだったし。
都市全体を相手取ってるのに、どうして私たちが何もかもを止めないといけないの?
いけません、そんな考え方をしては……
どうしてって言うなら、これが私たちにしかできないことだからだよ。
……
私たち異端者はずっと、普通のサンクタからすれば当たり前のことを、必死にやってきたでしょ?
私は昔、アクシデントに見舞われちゃって——まあ、見ればわかると思うけど。レガトゥスになってなかったら、今頃どこにいたかもわからない。
トランスポーターの任務として聖都を出るってことにしてたけど、実際にはただ放浪してただけだったんだ。
この頭についた黒い角が少しでも目立たないように、共感を失っていることを悟られないように、サンクタのいない土地をさすらって……
それはつらい旅だった。
私が仲間や友人たちともう一度普通に向き合えるようになるまでには、丸二年もかかったんだ……
だから、リーベリであれ堕天使であれ、一つの生活に溶け込もう、あるいは抜け出そうとして、諦めきれずにもがいてるのに、こんな乱暴な方法でそれを実現しようだなんて許せないじゃない?
珍しいこともあるものね。
モスティマ、あなたの口からそんな言葉を聞くなんて思わなかったわ。
お願いだから、忘れてくれないかな。
はいはい、忘れてあげる。
で、そっちはどうだった?
良い知らせとして、爆弾は仕掛け終わったわ。でも、悪い知らせもあるの。ロック装置をすべて破壊するには威力が足りないかもしれないと思って、残ったグレネードも全部仕掛けたから……
私にはもう、化け物どもと戦うための弾薬が残ってない。
(光輪が急速に明滅する)
(絶え間ない祈りの声)
フィアメッタ、起動して。
待って、レミュアンから連絡がまだ来てないわ。ロック装置の防御解除が間に合わなかったら、爆薬が全部無駄になるかも……
あと1分で爆発するわよ!
ちょっと?
タイマーの音がフィアメッタの手元から鳴り響く。すると、祝福を受けた生き物たちは何かが起きるのを察したのか、次々に祈りを止めて、狂ったように向かってくる。
……
ヒルデガルトは矢筒に手を伸ばしたが、中身はすでに空だった。
――あと50秒!
みんな、待たせてごめんなさい! 間に合ってるといいんだけど!
車輪が急停止し、砂ぼこりを巻き上げる。操縦者は車椅子を旋回させると同時に、右手で銃を構えた。彼女の長髪が風になびく。
時間ぴったりだよ!
フィアメッタ、モスティマ、私たち今でも息ピッタリみたいね!
ふふっ、二人には想像もつかないんじゃないかしら? 第七庁からここまで駆け抜けてくる間に、私が車椅子早撃ち大会の記録をどれだけ更新してきたか!
――あと40秒!
さっきの話は聞いてたけど、堕天使もリーベリも異端者も、みんなひっくるめて、私たちの関係は別の言葉で表したほうがしっくり来ると思うのよね――
戦友、同胞——同じ「ラテラーノ人」って呼べばいいじゃない!
権限問題は解決したし、ロック装置の防御も解除しておいたから、みんなは大聖堂前まで下がって! この怪物たちは私が食い止めるわ!
――あと30秒!
あいつらを撃つつもり? 君まで堕天しちゃうよ、レミュアン!
……
心底認めたくないけど、あなたたちの考えていることは伝わってくるわ……
だから、口を閉じなさい。少なくとも、ラテラーノはあなたたちの手で、こんな手段で救われるべきじゃないのよ!
弾丸の装填音が、怪物の心音と同じくらい明瞭に響く。レミュアンはほとんど顔が触れそうな距離まで――狙撃手が守るべき安全距離をゆうに超える距離まで、怪物たちに近付いていた。
彼女は、自分の呼吸に乱れがないのを感じ取った。
このコンディションであれば、狙撃手はどれほどの速度で射撃ができるだろうか?
私は第七庁の枢機卿、レミュアン。ラテラーノの国家安全のため、あなたたちに死刑を宣告するわ!
——どんな代価を払うことになろうとね!
爆発まで、あと5秒よ。
任務完了ね。
レミュアン、光輪は……大丈夫? 違和感があったりしない?
ええと――
激しい爆発が大聖堂前の土地全体を吹き飛ばし、広場には谷を思わせるほどの裂け目が生まれた。
その裂け目の向こうには、今や行進を続ける隊列が見えている。
あれは……エル?
へへっ、姉ちゃんたちだったんだ! さすがだね!
(重傷を負い悲鳴を上げる)
(途切れ途切れに祈りを口にする)
あなたたちは一度、安全なところまで下がりなさい。
これほどの裂け目ができては……同胞には越えられません。ですが我らはかつては急流を渡り、断崖を越えて進んだのです。ゆえにこの最後の道行きは、あの時ほど険しいとは言えないでしょう……
主はすぐそこです。止まるわけにはいきません。
ごほ、ごほっ……と、通してあげるつもりはないんだけど?
あなたは元より、か弱い身です。もはや、わずかな力も残されていないのでは?
——
エクシアは答えなかった。
彼女はずっと、身体の疲労や「堕天」による異常に意識を向けないように己に言い聞かせていた。そして今、「聖徒」の巨大な身体に向けて弾丸を浴びせても、それはまたも徒労に終わっていた。
「聖徒」には依然として悪意はない。それどころか、夢から覚めたばかりの時と同じように、彼女を抱きしめてさえいる。だが、それは異形の強靭な前足による、ほかに類を見ない奇妙な抱擁だった。
我が子よ。あなたはすべての過去と真実を知り、そして我らが今、ラテラーノの誕生にも等しい、もう一つの奇跡を創り出そうとしていることを知り……
さらには、我らがこの地に至ったのが創造主の覚醒によるものであり、その目的は、滅亡と存続の境界さえ曖昧な未来において、「サンクタ」を存続させるためであることをも知ったでしょう……
その上でなぜ、なおも我らの行く手を阻もうとするのですか?
っ……
それがあたしだけだなんて思ってないよね?
というと?
そんなに強い共感能力があるなら、伝わってるはずでしょ!
こんなに待ち続けた挙句、やっと訪れたチャンスなのに……結局それが、ただの夢だったなんて……
でも、夢でもいいんです。
夢なら、何も気にしなくていいわけですから。もしかすると、弾丸を受けても、現実に戻ればなかったことになるかもしれませんし!
これが夢なら、目を覚ませ。執念であれば、断ち切るんだ。
救済について語るのはその後だ。
地獄へ落ちることを恐れるな、ヴァンニーニ。
これはおぬしが学ばねばならん最初の教訓じゃ……ワシにとってもそうであるようにな。
ラ・ウニダの東の東……♪ 白き聖都、ラテラーノ……♪
かの土地は爆ぜることなく……♪ かの田畑には麦穂が実る……♪
……
主はあらゆる者を愛したもう……♪
心底認めたくないけど、あなたたちの考えていることは伝わってくるわ……
だから、口を閉じなさい。少なくとも、ラテラーノはあなたたちの手で、こんな手段で救われるべきじゃないのよ!
あたしは大層な地位についてるわけでもなければ、特別な才能があるわけでもない、ごく普通のラテラーノ人なの。
だから、あたしたちが当たり前だと思ってた生活の裏に、サンクタの起源とか、ラテラーノの歴史とか、信仰の本質とか、いろんな真相がいっぱい隠されてたってキミから聞いた時は……
本当に、ものすっごくびっくりしたんだよ!
キミの話が本当なら、ラテラーノで今みたいな生活ができるのは、実際奇跡みたいなものだと思う。
でも、あたしはごく普通のラテラーノ人だからこそ、キミの説明を受けた上で、こう感じたんだよね……
……それじゃ、みんな楽しくなさそうだなあって。
ラテラーノでの日常は、楽しくあるべきでしょ?
仮に――この長い旅を終えたとして、たくさんの仲間が苦しむことになっちゃうなら、キミの言う奇跡をどう信じろって言うの?
っていうか、どうしてそれが奇跡だなんて信じなきゃいけないの?
そーゆーわけだから、あたしがいなくたって、きっとほかのサンクタがキミの前に立ちはだかってたと思うよ。
私が見聞きしてきたものを共有されておきながら、あなたはそこから目を背けるのですか?
サンクタの歩む長き旅路は過酷なものであり、我らの信仰は元より罪と業、そして苦痛の上に築かれたものでした……
にもかかわらず、数多の歳月を経てそれとかけ離れてしまった楽園は、同胞をかくも弱いものへと変えてしまったということでしょうか?
あっれ~? あたしの言ってることが伝わんなかったのかな。
もしかして、さっきの質問をもう一回してあげたほうがいい? ――どうしてキミに頼んなきゃいけないわけ?
……
その答えは、すでに示した通りです。
たとえ本当にテラ全土を脅かす災厄が起こりかけてて、何百万人ものサンクタも、ラテラーノも、滅びちゃいそうなんだとしても……
どうしてキミじゃなきゃ、「聖徒」じゃなきゃ、あたしたちを救えないって言うの?
この街で今生きてるのも、その恩恵を享受してるのも、その変化を経験してるのも、そして街を災厄から守ってるのも、全部あたしたちなんだよ。
それに比べてキミは、聖徒は、もう存在してないじゃない。今のキミは具現化したコードでしかない、ただの亡霊なの!
いいえ、私は存在しています。かつて死に瀕した同胞に矛を向け、眠れる銀色の山脈がそれに応えた時、その祈りの声を永遠に刻み込んだのですから。
今ここにあるすべては、その祈りの延長線にあるものなのです。
死は覆せぬものですが、私は主のデータの中を今も彷徨い続けています。我らは日々、あなたたちの声に耳を傾けてきたのです。
姿形がいかに変わろうとも、信仰が時を越えていかに変化しようとも、サンクタが祈り続ける限り、主は動き続け、私もまた存在し続けるのです……
ゆえに、聖霊の光はいつまでもラテラーノを包み込むでしょう。
これこそが、我らの使命なのです。
……祈りに意味なんてないじゃん。
今なんと?
実はとっくに気付いてたんだよね。祈りなんて無意味だってこと。
……
あたしが小学三年生の頃、第六庁の調査員が、学校である実験をしてたんだ。その人の話によると、その実験はこういうものだった――
ファボール区中央病院に入院してる、似たような病状の病人二組に対して、あたしたち学生も二組に分かれて、一組は毎日患者のために祈りを捧げ、一組は何もしないでおいた……
でも結局、患者の回復状況に大差はなかったんだって。その調査員は、教室でこの実験結果を発表して、祈りは無意味だ、って言ってたよ。
あははっ、面白いでしょ。この国はあちこち教会だらけのくせに、こういう「不敬」な実験をしょっちゅうやってるんだ。
(光輪が明滅する)
キミの言う通り、ラテラーノ人は実際、毎日主に祈りを捧げてる——
早く病気が治りますように、すごい守護銃が手に入りますように、キャラバンが帰り際に天災に遭いませんように、親友といつまでも離れずにいられますように……
どんな苦しみも、いつかは過ぎ去りますようにってね。
でもあたしは、みんなの願いを叶えてくれたり、ピンチの時に現れて救ってくれたりする「主」がいるなんて本気で思ってはなかったよ。
……
共感があるから、あたしたちは仲間の感情を感じ取れるし、そばにいる人が楽しい気持ちか、悲しい気持ちかを知ることができる……
だけど祈るには、ただ何かを感じ取るだけじゃなくて、家族や友達を助けたいっていう気持ちがないといけないんだ。共感だけじゃない、もっと大きな思いやりの心が必要になるんだよ……
それがあれば、見ず知らずのおじさんおばさんたちの病状が、あたしが祈ることで少しでも早く良くなるような気にすらなれる……
それじゃ何も変わらないかもしれないって、わかっててもね。
あたしはペンギン急便の仕事で色々な場所を回って、色んなサンクタに出会ってきたんだ。その中には、なんとか神父を続けてる人もいれば、聖都にいた頃とは全然違う暮らしをしてる人もいた……
でもみんなすごく充実した人生を送ってて、今も変わらず親しみを覚える人だった。
その理由は、あたしたちが祈る習慣を持ち続けてることにあるような気がしたんだ。
祈りには疑わない心と、希望を持ち続ける心が求められるでしょ。
誰かのために祈りたいと思うこと自体が、とっても素敵なことなんだよ。
だってそれは、私とみんなを本当の意味で繋いでくれるものだからね。
(雷鳴のようなため息をつく)
仮に信仰がそうした繋がりのみに基づくものであるのなら、それほど脆弱なものもないでしょう。
そんなことない――あたしはそういう繋がりこそが、あたしたちの生活を支えてくれてると思うよ。
「生きる」こと……そして、「生活」……
だからキミにはわからないんだよ。今のサンクタがどうしてスイーツや爆発と共に生きてるかが……
どうしたの?
(不安げに逡巡する)
「聖徒」は突然、尋常でないほど落ち着きを失い、裂け目の縁を行きつ戻りつしながら、剥き出しになった地盤に鋭い前足の爪を突き刺し、下へ降りようとし始めた。
……
あなたたちの作ったこの裂け目から、主の信号をより強く感じるのです——
大聖堂の地下で、主が私を呼んで——
いいえ、そうではないようです……なぜ信号がこれほど乱れているのでしょう……混乱し、動揺しておられるような……
創造主が力を失われたのか……あ、あるいは……別の脅威に迫られて……変わろうとしておられるのか……
機械の動作音が、かすかではあるがはっきりと、足元から――裂け目の奥から聞こえてくる。
すると、「聖徒」はますます動揺をあらわにした。その半身は断層の中に入り込み、彼女は爪のついた手を握りしめたため、エクシアは激しい痛みを感じた。
その背後に続いていた隊列は、動きを止めていた。無数の光輪がその動揺に呼応して、星のようにチカチカと明滅を繰り返している。
若人よ、過去と現在の間の対話など、意味のないものだったのかもしれません……あなたたちはただ、未来へと歩み出せばよいのですから……
あなたたちは、あの危機を理解しておらず、新たな解決策を持ってもいません。それでも……あなたたちを生かさなくては……
言ったでしょ、通してあげるつもりはないって。
あなたの言う亡霊を、コードの集合体を……どう止めると言うのです……
(すさまじい雄たけびを上げる)
「聖徒」の声はますます混沌とした響きになり、もはやかつて泥濘を渡り歩いていたティカズと同じ、獣のような声色になっていた。
こんな状況じゃなきゃ、あたしたち友達になれたかもね。亡霊で、コードの集合体で、最初のサンクタだなんて……こんなにクールな友達いないよ!
あっ、そういえば……自己紹介がまだだったね!
あたしはレミュエル。聖セオドア総合学校出身で、第八十四期都市間ネットワークセキュリティコースの予科では成績トップだったんだ! ちゃんと卒業証書もあるよ!
それでね、実はここまでキミに撃ち込んできた弾丸は、全部特注品なんだ! ただちょーっと効果が出るのが遅いだけで!
守護銃が再び轟音を発し、その強烈な反動がついにエクシアを「聖徒」の拘束から解き放って……
彼女は高々と跳び上がった。
もちろん、あたしたちは生きることを諦めたりしない。でも、そのためにキミたちが計算したやり方に頼ることは絶対しないよ。
そのやり方を拒むことが、あたしたちを繋ぐ光輪を断ち切ることを意味するなら、そうすればいい。
だって、そうなったとしても、あたしたちはお互いのために祈ることをやめはしないし……
主の存在には感謝し続けるから。たとえその主が想像してたのとは違うものであってもね。
主よ、あなたが常に共に在ってくださることに、そして我らにパンと武器を与え、苦難と試練を共に乗り越えてくださったことに感謝します!
今に至るまで、聖霊の光でラテラーノを覆い、皆に救われる機会を与えてくださったことに感謝します!
我らのために道を拓いてくださったことに感謝します!
よし、お祈り終わり。
それじゃ、最高に賑やかにお別れしようか――
(雄たけびを上げる)
爆発物が雨のように降り注ぎ、「聖徒」の身体に刺さった弾丸とぶつかり合って、激しい連鎖爆発を引き起こす。
「聖徒」は吠えた。だがそれは爆破の衝撃や肉体の損傷によるものではなく、すべての「弾薬」が彼女の体表をかすめるたびに生まれる奇妙な乱流の音のせいだった。
それは、データが消去される前触れだったのだ。
ヴェルス・ディオ・ヴォーレント!
ゴスペル・ロックン・ロール!
ハイヴォルテージ・バラージュ!
チャーシュー・アップルパイ!
これは……源石か?
源石に覆われた……海なのか?
……どこか故郷の海と似ている。静かで、美しく、それでいて誰も足を踏み入れようとはしないあの場所に。
あるいは、あなたが懐かしさを感じる理由は……故郷の海そのものがこの中にあるからかもね。それどころか、あなたの一部さえここにあるのかもしれないよ。
この中には、あらゆる物が封じられている――これは万物の棺なんだ。
鉱石病にかかった者が、死後に遺す結晶のようなものかい?
そのたとえが理解の一助になるのなら、そうだと答えるよ。
驚いたかな? でも、元よりこれこそが、万物に定められた終着点なんだ。
僕たちは皆、生まれるのが遅すぎるし、あまりに短い時間しか生きられない。取るに足らない偶然を、自分の存在の本質と見なしてしまうほどにね。
あなたが、断片的な記憶のかけらを、聖なる啓示と信じ込んだのもそれと同じことだ。
でもそれでいいんだよ。法の意志が真の啓示を与えてくれるから。
主は仰っているんだ。「誰一人、救いを得ることはできない」と。
……
法はティカズの中からサンクタという種族を創造し、未開の地にラテラーノの秩序を築き上げ、さらには数多の文明の中に普遍的な信仰を確立することさえも試みておきながら……
そうして何千万年もの時間を費やし、人のためにしてきたことのすべては、人々を源石に変えるためのことでしかなかったと言うのですか?
それが法の最終目的なのですか?
今見てきた通り、源石が本当にすべてを同化させられるものであるのなら……それが前提条件になどなるはずがありません。
それどころか、すべての終着点にしかなり得ないのでは?
何もかもが均一で区別のない源石の中で、法が如何にして機能するのでしょうか? その時、光輪に……果たして意味などあるでしょうか?
「誰一人、救いを得ることはできない」だって?
ごく小さな楽園に過ぎない今のラテラーノのような都市でさえ、残してはおけないと言うのか?
救いを得ることはないし、残しておいてはならない。
「すべての人を救う」ことなんて、最初から成立しないんだよ。
すべては死へと向かっていくんだ。唯一「救い」と呼べる行為は、すべての人を見送ることだろうね……
人々に理想を与え、在るべき姿勢を与え、その醜さを覆い隠して、輝きを与えてやるんだ。
彼らが最後の旅路を喜んで受け入れられるようにするんだよ。
あなたがそうして自分自身を救おうとしたようにね。
気休めとして、他人に理想を与えろと?
いいや……そんなことは認められない。
私が、偽りの理想を胸に抱き、独りよがりの苦行を十数年も続けている恥知らずでしかないのなら……
そして、自分一人の救済のために、数多の人々に癒えることのない傷を負わせてきた卑怯者なのだとしたら……
そうした卑劣さを誰かに背負わせるような真似は、なおさら許されないことだ。
たとえ認められたとしても、あなたにはできないことだよ。
そんな救済を与えられるのは、法だけだから。
まさか……
ケファの計画は……すべての人々に光輪を授けるというのは、君の言う「救済」を与えるためだったのか?
だが、サンクタになったところで何になる? そうすれば、冷酷さも卑劣さも……苦しみを感じることすらもなくなるとでも言いたいのか!?
もちろん、ただのサンクタに留まるつもりはないよ。
アンドアイン・アガタンゲロス。僕たちはみんな、真の天使になるんだ。
真の……天使?
アガ……アガタンゲロス? その苗字、あんまり好きじゃないな。長いし呼びづらいし、この辺りの名前っぽくない響きだ。
これは……元々、母さんの苗字なの。父さんが出発前に言っていたのよ。この名字を受け継いでいってほしいって。
でも、母さん……
母さんは、この苗字が読みづらいことも、変わってることも知ってるわ。
もし、他の子たちに苗字を知られたら、それを理由にいじめられることもあるかもしれない……
それに、もっと遠くへ行った時には、外国から来たお金持ちだと思われて強盗に目をつけられるかもしれないし、あるいは裁判所に何かの狂信者だと疑いを駆けられることもあるかもしれないわ。
だから、苗字のことは誰にも話しちゃダメよ。ここにいる孤児の子たちと同じように、名前だけを名乗るようにするの。
心の一番奥の隅にしまっておいて。あなたの喜びも、怒りも、悲しみも、楽しさすらも届かない隅に。
でも今は、僕の心は悲しい気持ちでいっぱいなんだよ……それなのに、一体どこになら、悲しみが届かない場所があるのかな。
本当に、僕の心にそんな場所なんてあるの?
もちろんよ、アンドアイン。それは誰の心にもあるものだから。
どうか、この先あなたがこの苗字を思い出す時、苦しみや悲しみに囚われず、苦悩も葛藤もせずに済むように願っているわ。
あの時に見た、道端で足を掴んでくる死にゆく人や、そのそばで飢えて命を落としていく人たち、そして海霧に理性を蝕まれ絶望する人や、彼らの口元についた肉片のことも……
父さんが作ってくれたお化けの人形のことも、母さんが作った鱗獣皮のスープのことも、あなたが枕の下に隠していた絵本や、古い教会で拾った絵筆のことも、全部忘れて。
でも、忘れたくないよ!
……忘れるのはほんの一瞬だけでもいいから、ね?
この苗字を思い出す時には、どうか穏やかな静けさを――そこに何もない、静けさを感じてほしいの。
いつかきっと、それが必要になる日が来るわ。
だからアンドアイン、約束して。
……わかった。
でも、やっぱり気になるんだけど、この苗字ってもとはどういう意味の言葉なの?
「天使」。ラテラーノ語で……「天使」という意味よ。
静けさか……そうだね。なんてしっくりくる言葉だろう。
ほら、見て。あれは現れる時すらも、何の音も立てないんだ。
見渡す限りに源石の海が広がっている。それを見つめる者は、その観察が意味をなさないものであることにすぐ気付くだろう。
視界の中の光景に少しの差異もなくなってしまうと、人はどこを見ればいいのかすらわからなくなってしまうからだ。
しかし、この瞬間、万物が一つに溶け合った海の上には、確かにきらめく何かがあった。
源石の海が、その果てで天へと逆さに流れ込む川になっているかのように、無数の源石のかけらが海面から立ち昇り、整然と虚空の彼方へ漂っていく。
角ばったそのかけらは様々な形をしており、塵のように小さな物もあれば、星のように巨大な物もある。だがそのすべてが例外なく淡い光を宿していた。
それは、輪の形をした光だった。
光輪……
綺麗でしょ?
でも、残念なことにこの世の美醜なんてものは、天使にとっては何の意味もない。
天使に美醜はないし、立場の高さ低さも、貴賤も、尊敬も侮蔑も、愛も憎しみも存在しない。
だから出会いも別れもないし、幸福も苦しみもないんだ。
それは生命と呼べるのか?
それってそんなに大事なこと? 生命に向けられる賛美はどれも、僕たちの自画自賛に過ぎないのに。
天使の中に生命の痕跡を探そうとするのも、その姿形を生命の定義に当てはめようとするのも、僕らがそれに共鳴を求めているだけの話だよね。
では、天使とは法なのか? あるいは神なのか?
すべての区別がないんだから、神と信徒の違いもないに決まってるでしょ?
天使は信仰の何たるかなんて理解してない。ただ何よりも特別な形で、宇宙の最奥の片隅に存在しているだけなんだ。
それと偶然の出会いを果たしたからと、図々しくもその邪魔をしたのは僕らの祖先のほうなのさ。そうして僕たちは、その名を借りて神と信徒の関係をでっちあげたんだ。
我々の感情も、概念も、行動も、すべてが天使と無関係だと言うのなら……
なぜ、我々の未来はそれに関わらねばならないんだ?
僕らのすべてが天使とは無関係だからこそ、僕らは天使になるべきなんだよ。
だって、それだけが唯一の可能性なんだから――
創造主が降臨し、万物がこの海へと沈み、停滞し、一つに溶け合って、その意味を失くす時……
サンクタだけは、依然天使の姿を取って永遠に存在し、輝き続けることができる。
それこそが、僕たちから死に対する最後の答えなんだ。
そしてそれこそが、主が長きに渡って守り続けてきた種族へと与える、最後の祝福と救済なんだよ。
……それが真の天使だと言うのですか?
あまりに理解しがたいものであるがゆえに、法でさえも直接的な表現をできず、ただ「何物でもない」と定義するしかない存在が?
あまりに超常的であるがゆえに、たとえ源石に変えられようと、天使という形を保ち続けられる存在が?
それこそが、万物が源石へと還る終着点において、法が選んだ存在の在り方だと言うのですか?
それが法の最終目的であるのなら、聖徒であり執行人である私は、法を実践し、守らなくてはならないのでしょう。
ですが、それは――
法そのものがパラドックスでない場合の話です。
最後に一つ質問をさせてもらいましょう。
法よ、聞かせてください。仮に天使が、あなたの言うような「始まりも終わりもなく、増えることも減ることもなく、生も死もない」存在なのだとしたら――
それは――あなたたちは、なぜそれほどまでに強く、存在することを……存続を望むのでしょうか?
機械であれば、入力されたものに対して出力があるはずだ。
聖徒が法に答えを求めれば、法は啓示を与えるものである。
艦隊がシステムに指示を仰げば、システムは指令を下すようにできている。
主――あるいはPCSは、これまで一度もこうした沈黙を見せたことはなかった。
あなたは人が作ったシステムなのですから、人の手によって運用されねばなりません。それが指揮システムと呼ばれるものであろうとも、聖都が崇める法であろうとも、同じことです。
一方で、あなたの最終目的は、人という枷から解き放たれ、天使の本質に回帰することにある……
ならばその目的は、人に与えられたものですか? それとも天使が自ずから抱いたものですか?
あなたの語った天使という存在は、そのような目的を抱くでしょうか? 「天使」の行動には何の目的もないはずです。「漂う」または「煌めく」以外の行動があるとすればの話ですが。
しかし他方で、もし天使への回帰という目的が人に与えられたものである場合には、完全な天使になどなれるはずもありません。
私の推測では、あなたの行動はすべてあるものに端を発しているはずです。それは――
さあ、保育士さん、僕が救済を与えてあげる——
あなたの同胞も、あなた自身も天使になれるように導いてあげる。
痛みも、哀しみも、苦悩も、葛藤も、すべて捨て去ろう。そしてあなたは静けさを得るんだ——そこに何もない、静けさを。あなたが救った人も、傷つけた人も、みんな等しくそれを得るんだよ。
そうなればあなたはもう、利己的な人間として、あるいは卑怯者、裏切り者、妄信的な人間として生きる必要もなくなるし、そんな人として死ぬ必要もなくなるんだ。
……
アンドアインは、その背に一生分の重圧がのしかかっているかのような、かつてないほどの疲労を感じていた。
木攀獣の言葉は正しかった。実際彼は、あのサルカズの酔っ払いがそうだったように、残りの人生で一度きりの機会を鋭く察知していた。
解放を望むのなら、これは唯一の可能性となるのだろう。
「解放」という言葉の心地よい響きだけで、彼は幸せを感じた。地面にひざまずき、力尽きるまで涙を流して、そのまま深い眠りに落ちたいと思った。
だが彼は力を振り絞り、濁った両目を見開いた。
教皇聖下があなたにどう答えたのかはわからないし、今この瞬間、モスティマやフィアメッタ、レミュアンとその妹が地上で何を思っているのかも私にはわからない。
パティアやかつての仲間たちが今どこへ向かっているのかも、育児聖堂が世話をしていた子供たちが今誰の庇護下にあるのかもわからない。
彼らがこの救済を、この解放を望んでいるかどうかもわからない。
だがあなたが、私という「適格者」の答えを求めているのなら……
答えは——否だ。
私は本当に傲慢な人間なんだ。今この時ですら、数十年間探し求めてきた答えが、これほど単純な解放に過ぎなかったという事実を認めたくはないと思っている。
そして私は傲慢なだけでなく、本当に利己的で、卑怯者で、裏切り者で、盲信的な人間だ。それゆえに苦しみ、悲しみ、苦悩し、葛藤してきた。
だがそれこそが、私の人生の礎なんだ。
そうしたすべてを捨て去って解放を得たとして、それはもはや私ではなくなってしまう。私ではないものが、天使になるだけだ。
アンドアインという人間は、永遠に解放を得ることはなく――
それを望むことも断じてない!
苦痛に肉を蝕まれ、葛藤に骨を砕かれてこそ、私は自分を保ったまま己の道を往くことができるんだ!
……どうやら我々の意見は一致したようですね。
法そのものがパラドックスである以上は、それを執行することはできませんし、そうするべきでもありません。
アンドアイン、我々は法を修正――あるいはそれが不可能であるなら、停止する手段を講じなければなりません。
「存続」は、ある科学者が入力したコマンドだった。
「生きたい」は、あるティカズが上げた咆哮にあった望みだ。
そうして、天使を模倣した者は長く短い巡礼の旅に出た。
模倣者は指揮システムとなり、法となり、神となったが、天使にだけはなれなかった。
「願望」と「天使」は、元より矛盾しているのだ。
まだ、何らかの情報入力を待っているのでしょうか?
……話せることは、すべて話した。
神が私に、天使の姿で死ぬことを望むなら——
それなら私は、醜く、短命で、苦痛を伴うものだとしても――人の姿で、この世に生まれ落ちよう。
神が最後に示した意志が……神を殺すことなのか。
たとえ矛盾に満ちた存在だったとしても、「主」はラテラーノを楽園とする礎だった。「主」が死すれば、サンクタはもはや共感で結ばれることも、法に導かれることもなくなるのだろう。
それは、子宮に閉じ込められた赤子が自らへその緒を噛み千切り、冷たくなった母の身体から必死に這い出てて、ただ一人残酷な大地に立ち向かわざるを得なくなるようなことだ。
だが、そうした大地に身を置いてこそ、我々は本当の人間であると言えるのだろう。
そうして初めて、救済を語る資格が得られるんだ。
法、あるいは神よ。私があなたを殺してやる。
合理的な指示です。実行可能性を確認しました。
アンドアイン、協力をお願いします。
ふぅ——
アルトリアはチェロで身体を支えるようにして、ようやく片手で胸を押さえ、息を整えることができた。
あと少し……私の記憶が確かなら、この廊下を抜ければ、地上に……地上に戻れるはず……
くっ、本当に諦めが悪いわね。
(焦りのあまり息を切らす)
(光輪が狂ったように明滅する)
表情の見えない巡衛たちは、アルトリアを地下へと引き戻そうと取り囲む。あの機械の前で引き返したあと、彼女は迷宮の中で多くの時間を費やしていた。
守護銃はとうの昔に失われている。そのうえ彼女は、彼らの祈りに加わる気もなければ、その心を奏でるつもりもなかった。そんなことをするくらいならチェロを壊してしまったほうがマシだ。
アルトリアは、かつてないほど追い詰められていた。出口は目の前だというのに、身体に力が入らない……
地下から……?
フェディ、あなたたちは一体——
げほっ……くっ……
煙と砂ぼこりが晴れ、アルトリアはようやくその光景をはっきりと視認した。
先ほどの爆破で空いた巨大な穴が、広場の裂け目と繋がって、大聖堂の地下構造が人々の前にさらけ出されている。
穴の底には、リング状の機械が静かに横たわっていた。
その機械からは、表面に反射する太陽の光を除けば、あらゆる輝きが失われており……
石のように暗く、色褪せて見えた。
不安がよぎる。
アルトリアがそうした感情を強く抱いたのは、パヴィヨンで巫王と対峙して以来、これで二度目だった。
身体の奥の目に見えない場所で、ずっと繋がっていた何かが密かに断ち切られた——そんな感覚が確かにあった。
アルトリアが深く息を吸い、目を閉じると、似たような心の声がいくつも、意識へと波のように押し寄せてきた……
……
……
うっ……ううっ……
君は泣いてるのに、どうして……
君の泣き声を聞いてると、こんなにイライラしてくるの!?
イライラしてるの? か、感じ取れないよ。
ごめん、ごめんね……でもわたし、怖いの……!!
スプリアお姉ちゃんに真っ暗な部屋に閉じ込められた時……みんなの声は聞こえるのに、何を言ってるのかわからなくて。その時みたいな感じで……
……
祝福を受けた同胞との繋がりが、切れた——
いいえ、それだけじゃない……周りにいる人との繋がりも……パトリツィオ殿、あなたのことまで……
……
ああ、ワシにも感じ取れん。
うっ、ううう……
お嬢ちゃん、ワシの手を離すでないぞ――
あなたの手、なんだか変な感じがします……
まるで、霧がかかっているみたい。
なんだか遠い……とても、遠くに感じます。
……地獄に落ちるというのは、こういう具合なのじゃろうか。
変化は彼らの中だけに留まらなかった。かつては冗談に過ぎなかったことが現実となったのだ。
我々の知るあらゆる輝きは、いつか必ず消えてしまう日が訪れる。
この光も例外ではない。
年老いた教皇は、皮肉めいた表情で頭上に輝く光輪を指さす。
……サンクタのすべてが「それ」によって授けられたものだと考えられているのに、ですか?
人々の不安が高まり、パニックが広がっていく。
アルトリアは何が起きているのかを理解しようと努めた。ツヴィリングトゥルムでの時とは異なり、今回は人々の感情をかき乱すような邪悪なものなど存在していない……
それは、何度も人々に奏でられてきた楽章の一節が突然、初めから存在していなかったかのように抜け落ちたようなものだった。
なだらかな道を歩いている途中で、太陽も、雨の雫も、仲間も、故郷も目の前にあるにもかかわらず、なぜかそこから引き剥がされ、孤独に打ちひしがれるような感覚。
数百万の同胞が、孤独を感じていた。
「サンクタが信仰と安らぎの地を失う」……あなたの言葉の通りになってしまったのね。
フェディ、あなたは失敗したの?
……みんな、怖かったら、わたしのしっぽを抱きしめていていいからね。
あなたはジゼルの涙に気付いたんだよね、ロミア? 涙の意味を忘れたわけじゃないでしょ?
この歌を最後まで、一緒に歌おう、ね?
実は、ラテラーノの讃美歌には、ボリバルのとは違うところがたくさんあるんだ。お互いに知らない部分を教え合うには、まだまだ時間がいると思う……
だからわたしたちは、これからもそばにいて、支え合っていこう。
ラ・ウニダの東の東……♪
し、白き聖都、ラテラーノ……♪
……かの地の土地は爆ぜることなく……♪
かの田畑には麦穂が実る……♪
……
主はあらゆる者を愛したもう……♪
アルトリアの耳に歌声が届いた。
その震えた歌声には、戸惑いや、恐怖、不安……そして、純粋で真摯な、心からの願いが滲み出ていた。
それは静けさを、安らぎの夜を求める願いだ。
教皇聖下、私は、このラテラーノが崩壊へ向かっているであろうことに疑いはないと思います。
……ですが同時に、この都市が今ほど現実味を帯びたものとして感じられたことはないとも思うのです。
私はこれまで、自分には災厄に抗う力も、死を覆す力もないし、何かを導こうとも思わないと言ってきました。
ですが今この時、私のアーツを用いれば、彼らが崩壊に至るのを防ぐことはできるかもしれません……
共感を失った数多の同胞たちがありのままに、純粋に、真摯に「交流」できるように。
歌を聴き、感情を分かち合い、互いに伝え合いましょう。少なくとも今この瞬間、この言い表せない「喪失」を前に、私たちが悲しみと喜びを感じていることを。
そこには、罪人か聖徒かも、贖いも責任も、そして私がどのような道を選ぼうとしているかも関係ありません。
ただこれこそが、私がここに居る意味なのです。
白き聖都ラテラーノが、闇夜に沈もうとしている。こうなった今、あのアルチーデという電力操作員が都市を照らすことは二度とないのかもしれない。
アルトリアは手袋を外し――
夕陽に向けて音楽を奏でることにした。
心ゆくまで。