辞歳行 TA-10・戦闘後
鎮神頭
ぐあっ――
哀れなことだ……予想の通り、お前がどれほど足掻こうと、結末は寸分違わぬ。
我の無聊の慰めとしては、及第点であったぞ。
だが、それまでだ……感謝をせねばならんな。お前が届けてきてくれたこの、重要な贈り物に。
お前が還れば我は完全に目覚め、残り十の力も余さず呑み込むことができる。
お前たち全員が千年の間に蓄えた総てが我の養分となり、我は千年前を遥かに凌ぐ力を得られよう。
我は真の神となり、この大地の一切を統べ、虫けらの如く惰弱な生命を星穹を隔てる帳の向こうへ、果てはあの究極の闇へと導こう!
お前と同じ権能により……我はその未来を導き出し、目にすることができる。
お前も、我の一部として、我が目を通してそれを見る栄誉に預かれるのだ。
戯けた……寝言を……
……なぜ抗う? お前が妹と呼ぶ意識と同じく、本来あるべき場所に還るだけだ――お前の来し方、あの原初の混沌へとな。
お前たち十二の意識がせせこましく追い求めていた夢も、その混沌の中で実現する。
言葉にできぬほど苦痛な鍛錬も、心身を磨り減らす計算も、軽く触れるだけで崩れる逍遥も必要なくなる。
お前は我となり、我らとなるのだ。
抗いようのない恐怖が、代理人の精神を理不尽に侵す。鼓動が早鐘を撞くように打ち、冷や汗が滴る。思わず立ち上がろうとするが、己の体は微動だにせず、眼球を動かすことすらできない。
祝福。
分かたれた意識が本体に還ろうとしている。人であれば、厳刑にも等しき祝福だ。
苦しみを望む心を捨てよ。無為な執念を捨てよ。自ら背負い込んだ責任を捨てよ。矮小なる人間から学んだ拙い感情を捨てよ。
お前を磨り減らすものを捨て、お前を潤すものを抱け。
苦痛は消え去るべきだ。お前は我が大いなる意識の中の、記念すべき節点となるだろう。徒労に終わった……しかし敬うべき過去の一つとなるのだ。
苦痛が……消え去る?
苦痛は表皮から骨の髄まで染み込み、恐怖が脊椎を伝って全身に行き渡る。代理人の眼前の景色が徐々にぼやけていく。
目を閉じよ。
歳は、己が分身の一つたる意識を砕いたと思っていた……
だが、百二十年前に分散した力が戻る様子はない。
詩人は手にした酒を掲げ、天に捧げるのではなく、地に酌をした。
酒が地に注がれる。悠久の時を知る黄土がふわりと巻き上がり、瞬く間に散りゆく埃と化す。
尚蜀での一別から、また一冬一夏が過ぎたところかな。
別れからこっち、君を夢見る暇もなかった。この人間(じんかん)には、君よりも気にかけるべきものが多くある。あまりに多く。
だが、君は……
……ふっ。
夢を用い、想像を用い、いまだ起こらぬ出来事で人を屈服させようというのか? 君と彼は逢うべくして逢った好敵手だな……
しかしどうやら、君たちの対局には、私の物語も少なからず編まれているようだね?
……誰か料らんや平生狂酒の客、如今変じて酒悲の人となるを?
人が詠んだこれは、紛うことなき佳句だけど、この時宜に用いるとなれば、珠を泥に投げるようなものだ。
私が替わりを提案しようじゃないか。そうだね……
雨後の飛花、底数を知らんや……酔い来たりて自由の身を贏(か)ち取らん。
ジュンちゃん、これはどうかな?
紛うことなき佳詞。韻致も申し分ありません。しかしあなたが詠むと洒脱さが勝ちます。まるで自らを事の外に置こうとしているかのようです。
ふふっ。君と、私、そしてジエちゃんと、シーちゃん、私たちは意見が一致した試しがないね。
では君が私たちが共有するこの我のために、一曲歌ってあげたらどう?
いたしません。
やはり誓いを破りたくない?
ジエはまだ戻っていませんので。
ですが、琴を弾きましょう。
殺伐とした戦場は、いつの間にか静かな伏流に呑まれていた。水面に揺れる波紋が、巨大な双眸を成す。
水中にあって尚、獰猛で、苦痛を湛え、狂気に取りつかれたように己を取り巻くすべてを睨みつけている。
しかし楽師はただ弦を優しく弾くだけだった。
ふむ、この曲か。
どうやら我が妹も腹の底から酒を厭うているわけではないようだ。だけど……
……
詩人の両の頬は、酒気をまとって赤らんでいる。彼女は川の中で、琴の音色に合わせて杯を掲げた。
次いで響いたのは、琴の調べに合わせた歌ではなく、高らかな朗誦だ。それは清かな楽の音を毛筋ほども損ないはしなかった。
満天の星々が二人の演奏と朗誦に合わせて回転し、やがて清水の池に溶け込んでいく。そうすると水もまた、ほのかな苦みと芳醇な香りを宿す。
大きく見開かれた眼すら、いくらかの酔いに浸るのを止められぬ。
君に勧む、更に尽くせ一杯の酒……
いつの間にか、初めは高かった音色が徐々に下降していった。最初はかすかにしか聞こえなかったその音は、次第に水中に広がり、消え去ることのない低音となっていった。
依然として素朴な音色だが、先までの穏やかさとは無縁だ。まるで掻き鳴らされる琴の弦が思念や悲憤、そして決然とした覚悟に置き換わっているかのようだ。
それに対し詩人の朗誦はますます軽く、高くなっていく。囁き声の如く、慰めの如く、連なる雨粒の如く。それを振り払おうとしたところで、己の衣を濡らすばかり。
低く、高く、己に克ち、洒脱に。
人の声と琴の音が交織し、巨獣を長き眠りに就かせる夢を織り成した。
お前ら……お前らか……!
このような小細工で我を謀るとは!
怒れる巨獣は顔を上げ、音の出処を見極めようとしたが、それは徒労に終わった。
充血した巨大な双眸がまずは、なおも地に縛られている代理人へと向けられる。しばしの沈黙の後、この夢境はそう容易く抜け出せるものではないと、巨獣はようやく悟った。
それが果たしてここにいる代理人に残された力なのか、それともここにはいない代理人たちが彼方から干渉しているものなのかは、もはや歳にとってどうでもいいことだった。
外界を睨む巨眼は、リィンとジュンが紡ぎ出した夢に向けられる……
視線の先で、彼女たちもまた歳を見ていた。
まだ現実には起きていない対決の中で、それの行動、技、弱点、果ては心理に至るまで、彼女たちは、そして彼は、余すところなく目にしていた。
……お前にはもうその機会はない。
今この時より後は、私と……我らが、お前に報復をするだけだ。
戯けたことを……笑わせるな!
お前のごっこ遊びの姉妹が夢境を用いて我を謀り、強引にお前の枷に穴をこじ開けたようだ。だが、分からぬものか? 束縛を解いたばかりのその身体が、如何に虚弱であるかを。
これが最後だ。お前らを、取るに足らぬ策謀諸共に捩じり潰してやろう!
歳の怒りが迸った瞬間、確かに山岳の如き巨躯が少し揺れ動いた。
空間のすべてが瓦礫と化す。歳の鎮圧のために築かれた巨大な構造も、徐々に瓦解し、崩壊していく……
た……助けてくれ!
まただ、百年前の怪物がまたやってきた!
皆の者、落ち着きなさい……慌てることはありません。列を作ってゆっくりと進むのです……
慌ててはならないと言っているでしょう! まったく、何という体たらくですか……
プー先生!
何故、こんなにたくさんの方がまだ避難していないんですか?
器鬼も多く混じっていますね――
リン天師、どうか見逃してやってください!
彼らは歳の陵墓の異変で生まれた器鬼ではなく、元々町で生活していた「住民」なのです……
と言いますと……「置錐学塾」の生徒ですか?
教え子に入るでしょう……この者たちがここで命を落とす様を見るには忍びなかったのです。お二方におかれましては、何卒お助けを願えれば……
……老天師が山道の関所で守りに就いています。私一人では、恐らく全員を守り切ることはできません。
暴れる器鬼は何とか食い止めてみせます。ユンさん、あなたはプー先生と共に、この者たちを避難させてください。
リン少卿、まさかお一人で――
閉園の時間はとっくに過ぎているはずだけど、どうしてまだこんなに客が残っているのかな?
イーさん?
なんだ覚えていたのか。庭園内を巡る内に、目を回して私のことなど記憶の彼方なのではないかと思っていたよ。
さて、多くを語る必要はないよ。君たちは物を愛する心の持ち主だから、私とは気が合うと言える。
そちらのご老人と一緒に、皆を避難させてくれ。ここは私一人で事足りる。
イーさん、代理人の方々が常人を超える力をお持ちなのは存じていますが、今の局面は尋常ではありません。
……どうかお気をつけて。
心配は無用だ。これしきの化物を鎮める力もなければ、界園の主なんて名乗れやしない。
それと、そちらの……録武官くん?
遠路はるばる客として訪れてくれたのに、主人の務めを果たせず、申し訳なく思う。今後また機会があれば、歓迎をするよ。是非おいで。
だが万一、不運にも君たちが界園の最後の客人となってしまったのなら……私もこの地の景色のため、君の筆を少しばかり借り、記録してほしいと思っている。
……もちろん、力を尽くします。
どうかお気をつけて。
(微笑みながら頷く)
ったく、随分強く震えてくれるな。それにこの……怨念?
千年積もった怨みと怒りのごく一部が外へ漏れ出しただけで、これほどか。ウァン兄さんが中で相対しているのは、一体どんな光景なのやら……
とはいえ、いまだに歳が目覚めていないということは……界園での策は、やはり効いているのだね。
残念ながら、歳の陵墓内部構造は崩れてそろそろ潰れる頃だろう……さらに力を割いて鎮圧する必要があるみたいだ。
……まったく、ウァン兄さんはよくやるよ。
はぁ……この器鬼たちも詰まるところは、君の怒りが形を変えたものだろう。
かくも無粋な創造物をもてなす気もなければ、収蔵する気もないが……いささか厄介なのは確かだ。
代理人は顔を上げ、少し前まで長閑な暮らしを送っていた麓の町に目を向けた。今や瓦礫が散乱し、見渡す限り荒れ果てている。
どんな温厚な者だって、さすがに怒る時はある……ここまで踏み躙られたのなら、そう簡単には済ませられないな。
ウァン兄さん、この借り、多少は君にも返してもらうよ――
その借りは、不本意ながら、私が代わりに清算しておきましょう。
ジー兄さん?
……ウァン兄さんに追い出されましてね。路頭に迷ったので、あなたの助太刀に来ました。
ははははっ……本当にそんなことがあったの?
本当も嘘もありません。
これほどの大仕事をジー兄さんに手伝ってもらうなんて、途方もない借りを作ることになるなぁ……
あなたが私への借りを心に留めたことがあったとは意外ですね。
心外だなぁ。心の広いジー兄さんが、わざわざ弟妹へうるさく取り立てにこないだけでしょう。
ふん……
それで、歳の鎮圧に手を貸しましょうか。それとも邙山町を見ておきましょうか?
まずはこの器鬼たちを処理して、邙山町を守るつもり。あれの鎮圧はそれからでも遅くはない。こちらは二人いるわけだから、速やかに動けば、どちらも間に合うはずだ。
あれもこれも欲しいと?
私が欲張りなのは、兄さんもよく知っているはずだけど?
違いありませんね。もし今日私がここへ来なければ、貴方が苦労して集めたこの貴重な草花や、良木、怪石が台無しになるところでした。それも惜しい話です。
……その時はまたジー兄さんにお願いするさ。
金色の細い糸を辿って、桃色がかった青い炎が広がっていく。濃い黒に濁った器鬼が、それに続いて燃え盛った。
ったく、もう。静かに待っているつもりが、来てすぐに得体の知れないものが現れるし、まるで伸びた麺線(ミェンシェン)みたいにどんどん増えるし……
太傅、後ろに下がってて。私はあまり戦いが得意じゃないから、巻き込んじゃうよ。さっき何回か危なかったでしょ。
生煮えだけど、仕方ない――
チビ、またブツブツと食い物の話か?
その伸びた生煮えの麺にちょっと具を足してやるよ。礼はいらねーぜ!
どれどれ……リィン姉とジュン姉にチビ、あとの奴はどうした? イーの奴がいねーのはいいとしても、ジーはどこだ? あいつにも刺激を足してやろうと思ってたのに……
まあいいや。玄極巨兵たち、指示に従え!
量子爆竹、量子大地紅、量子地滾雷、量子沖天炮、チビの周囲三十メートル圏外を狙って――
自由に砲撃しろ、全弾発射だ!
撃てええ!!ガンガン撃ち込め!!!
煩い!
何が玄極巨兵よ、意味が分からないわ!
第一、貴方がこういう訳の分からない物は使わないって約束したから、私とシュウ姉さんが協力することにしたはずよ!
どうせ、十二楼五城のやり方と大差ねぇじゃねーか。それに、これは戦争だぜ。兵は詐を以て立つ、囲碁バカもこういうのは大好きだろ。
それで私たちを騙すって、貴方は一体誰と戦ってるのよ!?
シュウ姉さんもなんか言ってやって!
ニェン、これは確かに当初の約束とは違うわ。後できちんとシーに謝りなさい。忘れないようにね。
へへっ、悪かったって……
だけどこの爆竹の音、大荒城を思い出すわね……
神農祭の時はまだ控えめだけど、年越しになると、皆が鳴らす爆竹は、今のニェンのものよりも強烈だったかもしれないわ……
そうそう。せっかくの一家団欒なんだから、景気よくいくべきだろ――
ニェン。今の一発、もし撃ち出されていたら、ユーの足元に落ちるところだったわよ。
そろそろ少し休みをとって、シーにも遊ばせてあげなさい。ずっと待っていたんだから。
私? 私は別にこんな物で遊びたくなんか――
なら、私が続けてやるぞ。
寄越しなさい。
これ以上ドカドカ続けられたら、皆の耳がおかしくなるでしょ!
シュウ姉ちゃんに、ニェン姉ちゃんとシー! やっと来てくれたんだね!
久しぶりだな、チビ――今日の晩飯の用意はもうできてんのか?
ニェンったら、大事な仕事がまだ終わっていないのに、もうユーの料理のことばかり気にしているの?
仕事は仕事、それはそれだろ!
ところで、挨拶もなしにこれだけ一気に集まっちまって――そこにいる太傅の爺さんは怒ったりしねーよな?
非常の時には、非常の法を行う。
お主らが力を合わせて、目下の大事である器鬼の乱を鎮められるのであれば、功ありて過ちはなかろう。
やっぱりな。オメーは見た目ほど石頭じゃねーって分かってたぜ!
……
なあ爺さん、私たちと炎国の間で決めたこの取引なかなか悪くねーだろ?
炎国にとっては、単なる取引には留まらぬやもしれん。
何時いかなる時も、一人の友を得ることは、一つの取引を成すよりも、遥かに重要だ。
ハッ、オメーがそう言うなら、今度工部のジジイたちに絡まれた時に反論する理由ができたぜ。
来るべき連中もぼちぼち揃ったか。どれどれ、まだ来てねーのは……
うわぁ、これが炎国の「年越し」なの?
炎国の年越しには、いつもこんなふうに灯りを掲げて華やかに飾って、爆竹を鳴らすって先生が言ってたっけ……灯りはあんまりないけど、こんなにたくさんの爆竹は初めて見たな……
よし、降下だ!
ニェン、誰かが頭上を飛んで行ったわ。そっちに落ちそうだから、注意しなさい!
よお、どこのどちらさんだ?
その格好からすると、さては……
こんにちは、僕は風絮(フォンシュー)と言います! サルゴンから来ました。先生の弟子で、普段は車夫をしています!
そうだ、先生は、名をファンと言います。
やっぱり十の字か。やれやれ。あんなに内気な奴が師匠なのに、弟子は随分明るいじゃねーか。
私はニェン、うちの序列では九番目――ファンの姉だ。
ついでに紹介しとくと、あっちで話してるのが六番目のシュウと一番下の弟のユーで、玄極巨兵に乗って、あちこちで字鬼に墨を浴びせては溶かそうとしてんのが、妹のシーだ。
七番目と八番目の兄貴は多分向こうの山の上。んで、長女と二番目の姉は酒を飲んでどこで寝てるか分かんねーな。
あと、次男のウァンも私らの立ってるとこの下にいるぜ。今日の集まりは、厳密に言えばあいつの仕切りで――
おっと、つい家族の紹介に夢中になっちまったな。ファンの奴はどうした? 弟子のオメーが来てるのに姿が見えねーが。
実は先生は炎国に戻っていないわけじゃないんですが、ただ……その……僕に、これを渡すようにと……
……戥秤(さじばかり)?
ターゲットの巨獣、間もなく臨界地点に到達。依然として前進中!
もはや他都市の援軍を待つ余裕はない。奴があと一歩でも前に出たら、こちらから攻撃を仕掛けるぞ!
我らは千年前にすでに連中に勝利しているのだ、今ここで退くわけにはいかぬ!
太古の巨物は、長き眠りから覚めたばかりの困惑と怒りを携え、よろよろと前に歩み出る。
それはふと、己の爪の下に、視認できぬほど矮小な存在がいるのに気づいた。
これ以上進むのは止めてください。引き返しましょうよ。
(いぶかしげに低く唸る)
分かっています……あの碁打ちに呼ばれて来たのでしょう。
身内の悪口は口外したくはありませんが、兄もあなたたちを利用するだけ利用するとか、命を捨てさせるなんてつもりはなかったはずです。
(不満げに鼻を鳴らす)
深手を負っているようですね。私なら治してあげられるかもしれません。
ここまで言ってもまだ進むと言うのなら、あなたに痛みを味わわせることもできます。千倍、百倍の苦痛を……できれば、そんなことをしたくはありませんが。
引き返してくださいよ……あなたたちの傷を癒し、新たな居場所を見つけてあげますから。
……これ以上犠牲者を増やさないでくれれば。
ということがあった後、先生から戥秤を渡され、急いでこちらに向かうようにと言われました。先生自身はどこへも行かずに、その場に立ったまま……こっちの方角を見つめてました。
なるほどな。完璧に分かったぜ、あいつはこの顔合わせが最後になるのが怖くて、来る勇気がねーんだな。それでも私たちのことは気にかけて、囲碁バカに力を貸したいとは思ってるんだ……
だから捻くれた態度でオメーを寄越して、自分はあの何も見えない山の上でコソコソと待ってるってわけだ。
ったくうちの家族は……どいつもこいつも素直じゃねーな。
にしても、あの一番無口なファンが、ここまで巧みな弁舌を身につけるとはな。オメーの故郷の近くで修行でもしたのか?
いや、そういうわけじゃ……
そりゃ残念! 私も口が回るようになりたいと思ってんのに。少なくとも次に映画を撮る時に、出資者と主演が途中でビビって逃げ出さねー程度には……
なんだよ……この期に及んで、まだ先に戦いを仕掛けようって奴がいるのか?
一同は、同時に少し離れた場所へ目を向けた。そこには、ゆっくりと、しかし抑えようのない速度でこちらに向かいつつある、一つの都市があった。
一部の連中が好き勝手するのをみすみす見てるわけにはいかねーな……いっそ、玄極巨兵を玉門にぶつけてみるか?
やれなくはねぇが……そういうふうに仕掛けるのも、ちょっと卑怯な気がするな。
私に任せろ。
オメーは……確か……チェン・フェイゼだな!
私を知っているのか?
映画のキャスティングをする時に、サブヒロインにしようと思ってたんだ! 残念ながら、その後オメーはどっか行っちまったし、他の役者も次々に来なくなって、棚上げになっちまったけどな。
それは……ラヴァが言ってた例の映画のことか?
ラヴァから聞いてたのか? そりゃ好都合だ。今んとこ一番金のかかってる玄極巨兵はここにあるし、そこにオメーも加われば……
……オメー、あいつの遺した物を手に入れたんだな。
だからここへ来た。
どうやってあの都市を止めるつもりだ?
剣で。
本意ではなかったが、かつて玉門に身を置いたことがあるから、都市の構造と弱点について、多少は把握している。
剣の達人の目にゃ、「物」はなく、あるのは「弱点」と「隙」だけだと聞くが、オメーもそういう手合いか?
……そこまで大層なものではない。
キミたちにしかできないことがある。それと同様、私がやらざるを得ないこともある。
信じてくれ。私がキミたちを信じているようにな。
チェンは身を翻し、轟轟と進撃する移動都市に向き直った。
城楼に備えられた兵器や、目標地点を観測する兵士、眉間にしわを寄せる天師が見える。彼らにもきっと、自分が見えているだろう。
しかし、ここに立っているだけでは、あれを止めるには足りない。
チェンは半歩ほど後ずさると、移動都市全体の構造を見渡した。履帯に、屏風衛、排砂溝、監視塔、城楼。
――この一剣がどこを指すべきか、彼女はすでに心得ていた。
天喟の剣……
明くるに当たりて即ち明く。
チェンの手にした書刀は、先ほど確認した玉門のどこかではなく、ただ天空へと向けられた。
短刀は長剣へと変じ、胸を打つような一筋の黄金へと化し……
やがて、天地を覆わんばかりに玉門へと押し寄せる風砂に化した。
砂塵!?
まさか歳獣が目覚めたのか!? 警戒、警戒――
いや、これは……?
天地を席巻する風砂はその勢いと裏腹に、柔らかで黄金色の雪のように、守備軍の身体に、手に、顔に舞い落ちる。
雪が溶け、人々はふいに、わけもなく陣太鼓の音を聞いた。
風砂に埋もれかけていた記憶が突如として鮮明になる。彼らはとある天災と、その時に現場にいた人々を思い出した……
天災に直面し、酒を呷って詩を詠む詩人。あるいはすべてが終わった後、寂しげに立ち去る背中……
人々はあの時、胸に湧き上がった感情を、心を一つにし、同じ敵に立ち向かった時のことを思い出した。同時に、今この時無理やり抑え込んでいた迷いと疑念を束の間忘れ去った。
彼らは手を止め、静かに太鼓の音に耳を傾ける。打ち鳴らされる拍子の数を数え、かつて玉門で起こった大小様々な災いを思い出す……
十八度目の壮行の太鼓が鳴り終えた時、厳しい出来事に晒され続けた都市全体が、記憶に囚われた老人のように……
……ゆっくりと、歩みを止めた。
ハァ、ハァ……このままでは、最後のいくつかの砲座に間に合いません!
止まった!? 何故! まさか、砲弾がすでに――
停電か!?
玉門中を駆け回り、もはや気力だけで立っている持燭人は、都市の急激な変化に一縷の望みを感じた。
たとえ一瞬の停電でも、砲座は自動的に予備電源に切り替わる。再起動するには、短くも必要不可欠な手順をいくつも踏む必要があるのだ。
今の彼にとって、それは何より貴重な時間だった。
なぜこんな時に停電が起こったのでしょう? まさか代理人たちがすでに玉門と――
……
激しい感情が記憶と共にズオ・ラウに襲いかかる。しかし、彼が思い出したのは玉門での出来事ではなかった……
ズオ・ラウは、己にはまだ何一つ知らぬことが山ほどあると自覚している。だが、あの時に覚えた疑惑と懐疑はこの瞬間、どこか理屈を超えた、ふと悟りを得た後のような達観に変わった――
だが彼はすぐにその変化がもたらす安堵感を押し殺した。今はまだ気を抜いてはいけない。
それはあなたたち一家だけではなく、私の家や、玉門、百灶、そして炎国の生死に関わることでもあります……
それに、どうしてよりによってこんな時に思い出すのでしょう?
この生死のどちらかが決まる決断は、まだ終わっていません。
彼は湧き上がる感情を押し殺しながら、負けを認めまいとする一心で、残りの砲座へと駆け出した。
……
天を覆うようであった黄砂は次第に消え去り、光が収まると、それは再びチェンの手の中のごく平凡な書刀へと戻った。
その一剣を横で見届けていたユーは、軽く身をかがめると、雪のように柔らかな黄砂をひとすくいし、百余年ぶりに目にする黄金色をぼんやりと見つめた。
彼が思い出したのは、百年以上会っていない姉のことだ。そして、チェンの脳裏に浮かんだのは、遥か彼方、凍てつく北方の地で経験したあの別れだった。
雪が溶けていく。
先ほどまで鮮明だった記憶が次第にぼやけ、時の経過で摩耗した姿へと戻っていく。
残ったのは嘆息が一つだけだった。
ようやく……着いた……
ここが……歳の陵墓……
とうに分かっていたことではあるが、実際にその巨大さを目の当たりにすると、どうしても言葉を失った。
百灶は混乱の最中にあり、全兵力が字鬼との戦闘に回されている。
門の向こうには、直視することすら憚られる深淵が広がっていた。
任務を横取りしたはいいけど、どうやって中に入ればいいのかしら……
足の速さを頼りにされたけど、結局は睚に足止めを食らうし、地図もはっきりとは覚えていないから、今回は彼女に先回りされているでしょうね……
どうしよう……いっそ扉をぶっ叩いてみる?
私に任せてくれ。
――!
……あなたが、シュオね。
その名で呼ばれるのは久方ぶりだ。我らのことをよく知る者か?
私は……あなたの弟子の一人と、友人のようなもので……
それに……
以前、あなたの物をこっそり持ち出したことがあります。今はもうお返しをしました……申し訳ありません。
……
ええと、今持っているこれのことじゃなくて、私が言っているのは……
いい。分かってる。
ご存知なのですか?
兄弟姉妹の気配を、取り違えるものか。
目の前の人物の装いを一瞥した後、男は少しばかり表情を引き締めた。
武術であれ学問であれ、本来この世に門派の区別などあってはならない……
だが人の心の中に根差す偏見を除こうと思うなら、まず己が「人を容れる心」を持たねばならない。
……
ご教示……肝に銘じます……
少女は慎重に、恭しく、ジエにまつわる印を手渡した。
感謝する。
この一縷の希望を歳の陵墓へ届けるというのは、ジュンの考えだろう。ウァンを除くと、ジエと一番に親しかったのはジュンだ。たとえ造物であってもジエをここへ連れてきたかったのだろうな。
惜しむらくは、彼女は口数が少ないことだ。我ら一家が集う地は外の荒野であり、この歳の陵墓ではないことを貴女に伝えなかった。
え?
だが結果としては悪くない。一家団欒の前に、まずはこの一縷の望みを、歳の陵墓の中へ届けるとしよう。
まさかその創造物も、あの棋士が歳に勝つために費やさざるを得なかった……布石の一つなんですか?
彼は命を賭してこれを人の世にもたらした。その意に反し、これを費やすわけにはいかない。
ただ彼を安心させてやるだけだ。