人々、我々 PA-7・戦闘後
結び目の両端
ついて来るなら、常に私の指示に従って動け。
わかったか?
うん! えへへ……
何を笑っている?
リュドミラお姉ちゃん、すっごく頼りになるなーって。
簡単に他人を信用するな。
あなたたち、いつからそんなに仲良くなったの? クラウンスレイヤーはウルサス事務所の皆と関わりたがらないんじゃないかって心配してたけど、考えすぎだったみたいね。
……こいつは別だ。ずっと前、当時のロドス艦内の食堂で関わったことがある。
えっ、それでグムと仲良くしてくれるの? 食堂って――
あーっ! ウルサス料理もシラクーザ料理もすっごく上手な、あの赤髪のお姉ちゃん!?
……
無駄話はここまでだ。私はアーツで隠密行動ができるから、単独でズィマーを探しに行こう。ロサの報告した座標が正しければ、必ず見つけられるはずだ。
でも報告通りなら、封鎖エリアの状況はかなり複雑みたいだから、彼女たちはもう拠点を移動してるかもしれないわ。とにかく一度様子を見に行って、難しそうなら戻ってちょうだい。
ああ。
どうしてグムたちは一緒に行っちゃだめなの?
カトルガ区が封鎖されてから、動力層の通路もパヴロヴィッチの手下に押さえられた。奴らに気づかれずに複数人で侵入するのは現実的じゃない。ここで待っていろ。
カトルガ区外のここなら、労働者も全員私のことを知っている。万が一見回りが来たら、私の――リュドミラ・イリーニチナの知り合いだと伝えておけ。
わかったわ。でも、見つからないに越したことはないわね。私たちは身を潜めながら、合流の準備をしておくわ。
ズィマーお姉ちゃんに会ったら、ケガしてないか、痩せてないか、ちゃんと見てきてね!
ああ、善処しよう。
……
見回りがいないだと? 報告にあった状況とは随分違うな……
ズィマーの拠点はこの先か。
……マトヴェイのとこに行くなって言うなら行かねーし、お前が一人になりたいなら邪魔もしねーよ。
でも、もし誰かと話したくなったり、何か相談したいことができたら、大声で私の名前を呼べ。いいな?
私はいつでも味方だからな。一人で抱え込むなよ。
……
……あ? 何だこりゃ……
おい、リェータ――
大声を出すな、私だ。
え?
助けが必要なら声をかけろと言ったのは、お前だろう?
だから来た。
ああ、この通信機なら問題なさそうだ。
……そうか、お前たちはもう脱出の準備に入っているんだな。封鎖エリアのチンピラどもも片付け終わったと。
どうりで、道中に見回りを見かけなかったわけだ。
チンピラどもがいなくなっても、まだ壁の上の奴らがいる。戦ったら激戦は避けられねぇ。
準備はできているのか?
そう信じるしかねぇだろ。一人ひとりの意志を聞いて回る時間も気力もねぇんだ。だけど、誰も訓練を投げ出さなかったこと自体が答えだと思ってるぜ。
ああ、私もお前たちを疑うつもりはない。外に流れている情報から考えれば、お前たちがこの封鎖エリアで生き残り、団結していること自体が、もはや奇跡に近い。
外じゃなんて言われてんだ?
ここはパヴロヴィッチ陛下が治める独立王国で、内部の全生命体に対して生殺与奪の絶対的な権利を握っているという噂だ。
貴族様たちも、もうここを気にかけていない。どうせこの区画は、もうじき腐った肉のように切り捨てられる運命だ。ここにいる人間もろともな。
ふん。
ウルサスはいつもそうだ……いつになってもな。だが切り捨てられる側は、それでも生き残ろうと必死に足掻く。
これまで、アーミヤはアタシらをあまり接触させたがらなかったが……オマエ、意外と人間味のあるヤツなんだな。
……人間味は関係ないだろう。
言い方を変えよう。ここに来るまでに、焚き火を囲んで泣いている奴と、笑顔でそいつを慰める奴を見た。そいつらの腕には包帯が巻かれていて、服は地面の雪と同じように泥だらけだった。
他の奴らは雑談をしたり、湯気の立つコップを持っていたり、焚き火で何かを焼いたりしていた。
こんな場所で、多くの困難を経験したというのに、どいつも絶望しきった表情には見えなかった。それどころか、明日を待ち望んでいるようですらあった。
何も持っていないくせに、胸は希望で満たされている。あの光景、あの表情、まるで昔の……
……
ありがとう、よく見てるな。
だが、物資が足りてねぇのは事実だ。いつ最後の日が来るかわかんねぇし、オマエに出した茶が最後の一杯になるかもしれねぇ。だから、飲まねぇならアタシがもらうぞ。
クラウンスレイヤーは無言で手のひらを見せ、譲る意志を示した。
疲労の色を浮かべたズィマーも、遠慮なくステンレスのコップを手に取り、何度も注ぎ足して出涸らしになった薄い色の茶を一気に飲み干した。
……必要なことは全部話した。他に知りたいことがあれば聞いてくれ。
ここを出る前に、私にしてやれることはあるか?
そうだな……ちょっとバカげた頼みかもしれねぇが――
オマエのアーツを使って、入ってきたルートから学生を脱出させることはできねぇか……?
動力層の通路はかなり狭い。一晩中往復して、数十人が限界だろうな。だが、ここには数百人いるんだろう……それに一番の問題は、通路が一本しかないことだ。
この規模の人数で動けば、間違いなくバレる。もし遮蔽物のない場所で見つかって一気に攻撃を受けたら、私のアーツがあったところで――
……チッ、アタシがバカだった。そう簡単にいくわけねぇか。
それ以外で何か必要なことはあるか?
「お前だけここから逃がしてやる」とは言わねぇんだな。
ああ。そう言ったところで、お前は残るだろう。
違いねぇ。
……
……
待て、一つだけ頼めることがあった。動力層から入ったって言ってたよな? だったら、あそこの下の構造に詳しいんじゃねぇか?
……
運が悪かった、そんな顔をしているな。
何かの手違いで閉じ込められた、といったところか。どう見ても、ここの奴らと関わりがある人間には見えない。
む……? ああ、その通り、愚かな手違いだ。
何をしている?
友人たちを追悼していた。
すまない、ずいぶん沈んだ顔をしていたからな。邪魔をして悪かった。
いや、気にするな。様々なことに邪魔されるのには慣れている。
遠慮するな、お前も座って火に当たるといい。腹が減っていれば、焼いたジャガイモもある……名前は何というんだ?
リュドミラ……友人からは、クラウンスレイヤーと呼ばれている。
……
……ずいぶん洒落た呼び名だな。
それほどの大物を暗殺したことがあるのか?
残念ながら、まだこの手で殺したことはない。だが「暴君」、あるいはリーダーと呼ばれる者は何人も見てきた。
一人目はウルサスで出会った。私が知る中でも指折りの偉大な人物だったと言えるだろう。リーダーとしてのカリスマ性を備え、何より強かった。
だが彼女の理想はあまりに遠く、手段もまた理想を追い求めすぎていた。その結果、失敗に終わった。「暴君」という呼び方は正しくないな。彼女はただの失敗者だ。
二人目はシラクーザで出会った。当時はまだリーダーとすら呼べない存在だった。お人好しで、ツイてない奴だった。
多くの偶然に後押しされ、彼女はリーダーになった。責任の重さを自覚する前に、権力を振るうことを覚えてしまったんだ。道を誤るのではないかと心配していたが、もう共に歩むことはないだろう。
お前は様々なことを経験してきたのだな、羨ましいことだ。私はサンクト・グリファーブルクから出たことすらないと言うのに。
三人目は、以前から名前とその行跡だけは耳にしていた。
そして今、ようやくこの目で見ることができた。
……
誰の差し金だ? ヴィッテの手の者には見えぬが。
勘繰るのはよせ、お前自身には何の興味もない。
本当に驚かされた。久々にウルサスに戻ってみれば、こんなバカげた事態に出くわすんだからな。議会は今頃、お前をどうにかして秘密裏に救出するために、大慌てで動いているだろう。
そうかもしれないな。あるいは、余がここで人知れず死ぬことを望んでいる者もいるだろう。
もう余にはわからぬのだ。余がここにいても、宮殿にいても、結局は何も変わらないのではないか。
庶民から嫌われ、権力者からも疎まれるなんて、どうすればそんな真似ができるんだ?
本気で何かを変えようと行動すれば、甘い汁を吸えなくなる者たちがあらゆる手を尽くして邪魔をする。結果、どのような決断を下そうと、多くの者に道を妨げられるのだ。
いや……お前に言っても理解できぬだろう。
確かに理解できないな。その言い草だと、お前は国を治めるため心を砕いたつもりなんだろう。それならなぜウルサスはこんな有様になった?
ああ、さっきサンクト・グリファーブルクから出たことがないと話していたな。なら一度外に出て、お前が心を砕いたウルサスの惨状を目の当たりにするといい。
お前に何がわかる!?
お前に批判される筋合いなどない……今のウルサスがどのような病に冒されているか、知らぬとでも思っているのか。余としても全てを変革したいと願っている。
余がどれだけ試みたか、お前は知らぬ。誰も知らぬのだ。しかし誰一人として本気で支えてくれる者を持たぬ余に、何ができると言うのだ!
だから何だ? 失敗は全部他人のせいで、自分は無実の善良な皇帝だとでも言いたいのか?
自分の肩に乗った責任すらも理解できないのに、これほどの苦難を味わっている民衆に自分の苦労を憐れんでほしいとでも言うつもりか?
その通り、余は史上最悪の暗君だ――ならば、お前はなぜ突っ立っている?
今すぐに余を殺せ。余の死を望む貴族たちを喜ばせ、余に不満を抱く平民の鬱憤を晴らしてやるがいい。
祝ってやろう。お前はもはや*ウルサススラング*な呼び名を自称する子供ではなく、正真正銘「クラウンスレイヤー」の名を冠するのだ。
*ウルサススラング*も大概にしろ!
お前を殺すのは簡単だ。だが、それが何になる? フョードルという人間がそれほど重要だとでも思っているのか? 教えてやる、お前など全く取るに足らない存在だ!
ウルサスでは、まだ三歳にも満たないガキですら、今の偉大なる陛下がわずか十歳で大反乱を平定した武勇伝を聞かされている。だが玉座に座っているのが実際はどんな愚か者かなど、知る由もない。
お前自身の行跡が、フョードルという名に栄誉をもたらしたとでも思っているのか? だからこそ自分の責任すら自覚できず、不当な扱いを受けているとほざくんだろう。
とどのつまり、お前は虚飾に囲まれ、まるで成長できなかったガキに過ぎない。
*ウルサススラング*――
目の前で死んだ人間のために、本気で悲しんだのか? これより何十倍、何百倍もの惨劇が、今この瞬間もウルサスで起きているが、それには心を痛めないのか?
もし本気で誰かを救いたいなら、いるべき場所に戻り、公正な政策を何枚か探し出して、署名の上でその高貴な印章を添えればいい。
どうだ、簡単な話だろう。だが問題は、それがお前の本意かどうかだ。「公正」とは何か、お前に判断できるのか?
……
お前に焚き火を囲むよう勧めたこと、今はひどく後悔している。
余とて粗暴な振る舞いを望んでいるわけではない。だが、どうにも余の周囲には苛立たしい者ばかりだ。
この度のご招待に感謝しよう、親愛なる陛下殿。
その寛大な御心が、より多くの人間に届くことを願っている。
……どこへ行く?
お前には関係ない。
心配するな。ここでままごとを続けたいなら、好きにすればいい。誰かに言いふらすつもりはないからな。
だが、最後に一つ言っておく……
もしお前の言う通り、本気で現状を変えようとしていたなら……少なくとも宮殿だけが夜通し燦然と輝き、この街一つを灯すロウソクすらない国にはならなかったはずだ。
……
クラウンスレイヤーが立ち去ると同時に、吹き荒れる夜の突風が、ついにフョードルの前で燃えていた最後の火を消し去った。
周囲はたちまち闇に包まれ、沈黙する皇帝と放浪者を寒空の下に取り残した。
そこにいるのはわかっている。隠れていないで、姿を見せよ。
陛下。
……お前たちにも尾けられていたとはな。全く驚きはないが。
陛下とヴィッテ議長のご意向に従い、陛下のご失踪を他者に悟られぬよう動いておりました。
それゆえ、身を潜めている他ありませんでした。
それで、ヴィッテはカトルガ区の件をどう処理するつもりだ?
それは我々の知るところではありません。
議長との対話がご希望であれば、今すぐ我々と宮殿へお戻りください。
余を連れ戻すのか。人知れず車に押し込み、またあの椅子に座らせるつもりなのだろう。
だが、余は断じて従わぬ。
恐れながら、ご自身の置かれた状況を改めてご認識いただきたく存じます。
先帝と比べ、陛下はあまりに若く、傍若無人に映りかねません。
*ウルサススラング*! 一万年も昔に世を去った人間と余を比べるな、愚か者どもが! 全員余の前から消え失せよ!
余は帰らぬ。なすべきことがあるのだ。余は決してウルサスの体裁を取り繕うための人形などではない。
ヴィッテに伝えよ。本気で余を連れ出したいのなら、自ら迎えに来いと!
なぜここにいない……
こっちよ!
見回りの労働者に見つかったのか?
あなたの言う労働者が、鉈や棍棒を持った、警官みたいな格好をした人たちのことならね……
チッ、パヴロヴィッチの手下と遭遇したのか? だがここはカトルガ区ですらない、そんなはずは――
その時、作業着の人たちが、隠れられる場所まで連れ出してくれたの。でも急いでたみたいで、何も聞けなかったわ。
ズィマーお姉ちゃんは? ねえ、お姉ちゃんには会えた? リェータお姉ちゃんも大丈夫だった?
ズィマーとリェータ、そしてあいつらが集めた学生は、封鎖エリアを出る準備を進めている。この数日間のうちに動き出すだろう。
出るって? あのパヴロヴィッチって人が、みんなを解放してくれるってこと?
「出る」というのは、ドアを開けて外に出るようなものではない。
……あの子たち、どう動くつもりかしら。私たちに手伝えることはないの?
私も同じことを聞いた。とにかく、後で動力層の夜番の労働者とこの件について話し合ってみよう。
だが今は、ズィマーから受け取った通信機を試すのが先だ。このままでは、失業した労働者たちが電気式の暖房を使えなくなってしまう。
どこで試すの?
普段は私のセーフハウスで通信しているが、このエリアにはない。もう少しひと気のない場所を探すしかないな。
ここなら大丈夫だろう。
その通信機、結構重いでしょう? 私が支えててあげるから、イヤホンをつけて。
ありがとう。
グムは? グムにできることはある?
周囲の状況を見張っていてくれ。何か動きがあれば、すぐに知らせろ。
わかった!
通信テスト、一回目。
……
聞こえるか?
……
もしもし?
(小声)繋がってはいるはずだが、向こうから何も聞こえないな。
もしもし、こっちの声は聞こえているか?
……
やはり反応がない。信号の問題ではないはずだが。
まあ、よくあることだ。少し時間を置いてまた試すしかないな。
どれくらい待つの? だったら先に……
ん?
先に、ズィマーお姉ちゃんの拠点に行っちゃだめかな? それか、さっき言ってた夜番の人を探すとか。
なんだか、じっとしてたらいけないって思うの。もしみんなの力になれるなら、グムも何かしたい。
ここを離れても、その人との通信はできるんじゃない?
カトルガ区の内部は通信が遮断されている。入った時点で、おそらく通信機は使えなくなるだろう。
それに、何の準備もなしに正面から参戦するのは危険すぎるわ。たとえそれが封鎖エリア内の小規模な衝突だったとしてもね。
ロサの報告では、パヴロヴィッチは貴族から軍事物資の融通を受けてるって話よ。つまり、ズィマーたちは正規軍並みの火力と対峙する可能性が高い。
……
グム、怖くないよ。
えっ?
怖くなんかない! グムはズィマーお姉ちゃんやリェータお姉ちゃんのそばにいたいの――悪い人とか、いきなり飛んできた矢から、みんなを守るくらいはできるから!
だから、お姉ちゃんたちを助けに行かせて。
それが、他の誰かを傷つけることになるとしても?
……そ、そうしなきゃいけないなら……
躊躇ったわね。あなたもズィマーたちも軍人じゃない。できることなら、一生こんな争いとは無縁でいてほしいと思ってるわ。
人にはそれぞれの戦場があるの。それには優劣もなければ、優先順位もないわ。
グムは……グムは――
グム、私が今取り組んでいることも、同じように多くの人の命運を左右すると言っておこう。さて、お前はどうする?
クラウンスレイヤー、その話は――
私たちがここを離れ、封鎖エリアに入る方法を探っているうちに、この街の住民に電力を供給している者との連絡が遅れれば――
一週間後には、オドエフ区の辺りから無数の凍死体が発見されることになるだろうな。
だがズィマーたちの助けに向かわなければ、明日にも奴らは暗闇で矢や砲火の攻撃を浴びることになる……そんな危険な状況に陥るかもしれない。
グム、お前はどっちを選ぶんだ?
クラウンスレイヤー、そんな残酷な選択を迫らないで!
……残酷? この程度のことが残酷だと?
知るべき事実を隠し通し、一度も選択の機会を与えない。それがこいつのためであり、お前にとっての責任だとでも言うつもりか?
いつも取り残される側の人間にとっては、そんな身勝手な決断こそ……本当に残酷なことではないのか?
それは……
……
さあ、選べ。
グムは――
――どっちも選ぶ、じゃだめ?
えっ――
……ザザッ……
いまはリュドミラお姉ちゃんのお手伝い。それが終わったら、ズィマーお姉ちゃんたちを助けにいく!
……いいだろう。
荷船……
待て、通信機から何か聞こえる。
えっ?
イヤホンから漏れるくぐもった声が、徐々に鮮明になる。
穏やかだが、躊躇い混じりの男の声。クラウンスレイヤーは、その声に聞き覚えがなかった。
……雪娘、巨大鱗獣……
初めて耳にする声だ。これまでやり取りしていた相手ではない。
……
それに、意味の通った会話になっていない。
どういうこと?
関連性のない言葉の羅列のようなものだ。支離滅裂と言っていい。
「白夜」。
「氷の女帝」。
……言葉自体はどれも知っているが、組み合わさるとどういう意味になるんだ?
もしもし、聞こえるか? もう少し明確なヒントが欲しい。
ヒント……
誰だ?
君は何者だ? 私は誰と話している?
相手の声が突然大きくなり、イヤホンから不明瞭なノイズが途切れ途切れに漏れ始める。
グムは俯き、先ほどクラウンスレイヤーが書き留めた言葉をじっと見つめていた。胸の中で、鼓動が激しく脈打っている。
白夜、氷の女帝、幻想家、土地、怪物、黄金のチェルボネッツ、荷船、羽獣の雛、雪娘、巨大鱗獣。
それらの言葉には見覚えがある。グムは声にならない声を上げながら、服の裾を強く握り締め、紙に書かれた乱雑なメモの一文字ずつに穴が空くほど見入っていた。
本を抱える手、髪を撫でてくれる手、見慣れた腕時計を着けている手……そんな情景が、一つ、また一つと目の前をよぎっていく。
リュドミラお姉ちゃん――
グムは、全く手がかりを掴めない様子のクラウンスレイヤーに、熱を帯びた視線を向けた。
もしもし? これは私ともう一人の人物だけが使っているチャンネルだ。どうやって知った?
お前は何者だ――
リュドミラお姉ちゃん!
どうした?
それ、聞かせて。
書いたものがほぼ全てだ。他に重要なことは話していない。
お願いだから!
何かわかったの?
聞かせてくれたらわかる、絶対に。
……聞いてみろ。
クラウンスレイヤーはイヤホンを外し、いくらか背の低いグムに手渡した。
グムは震える両手でそれを受け取り、恐る恐る耳に装着する。
……黄金のチェルボネッツ、荷船、羽獣の雛、雪娘、巨大鱗獣。
おい、メモは取ったか? もう取ったな?
いいか、決して一つも忘れるな! 絶対にだ!
もう一度言う。白夜、氷の女帝、幻想家、土地……
……
慣れ親しんだはずなのに、聞いたことのない声。
通信機越しの、少し歪んでいる声。
ラーダが決して忘れることのない声。
「一人の人間には、どれだけの土地が必要なのか。」
イヤホンからもお父さんの声が聞こえる!
「50ヘクタール? 1000ヘクタール? それとも、14000ヘクタールだろうか?」
「いや、実はどれも違う。」
じゃあ、ホントはどれくらい?
こらこら。ラーダ、慌てずに聞きなさい。
「イヴァンはとても長い道のりを歩き、朝日が昇る前に出発地点へと戻ってきた。全身の力を使い果たし、起き上がることすらままならなかった。」
きっと誰かが助けにきてくれるよね? そうだよね!?
ああ、もちろんだとも。
「彼の忍耐に感銘を受けた人々は、彼を助け起こし、綺麗な水を飲ませ、柔らかいパンを食べさせた。」
「彼が目を覚ますと、そこには自分が昼間に歩いてきた道と、印を残してきた道標があった。」
「目の前に広がる土地、それは……」
「奥行き2メートル、幅1.5メートル、深さ1.5メートル。イヴァンという人間の一生に必要な土地だった。」
……
お父さん……
――!
うそつき。
……誰だ……
大きくなってから、もう一度あの本を読んでみたの。そしたら、人間の一生に必要な土地は、それだけだって。
それって、棺桶の大きさだよね?
君は誰だ? 一体何を言っている?
ラーダだよ、お父さん!
ラーダ……
ラーダなのか?
そう、ラーダだよ! お父さん、今どこにいるの? 何を伝えようとしてるの?
全部教えて。もう一度、お父さんの声を聞かせてよ……
……チャンネルは変更していない。今話していた相手がお前の父親なら、これまで私が話していた相手は……
グム、お前の両親は同じ機関で働いているのか?
わかんないけど、たぶん……そうだと思う……
……まあいい、いずれ全てが明らかになるだろう。
通信が切れる前、向こうは何か話さなかったか? あの十個の言葉以外に。
実は、全部で十二個あるの。
なに? あと二つあるということか?
うん、「石棺」と「周辺都市」だよ。
……
最初の十個の単語は、どれも児童書のタイトルと関係してるの。
どの本も、小さい頃にお父さんが読み聞かせてくれたんだ。
推測だが、お前の父親はただそれらの本を探せと言っているわけではないだろう。
今お父さんが説明してくれたんだけど……
十個の言葉は、十冊の本の図書コード上二桁に対応してて、残りの二つは言葉の頭文字を取るんだって。
……数字に文字、全部で二十二桁。ウルサスの軍用施設では一般的な識別コードのフォーマットね。どこの施設かというと――
答えはもう明らかだろう。
石棺、周辺都市。
……グム、ジュナーさん。急ぐなら、今すぐにでも封鎖エリアに向かえるぞ。
あのね……二人が前に話してくれたこと、自分でもちゃんと考えてみたんだ。
みんなに心配はかけたくないけど、グムはやっぱり力になりたい。だから、封鎖エリアにいる知り合いの学生のところに行って、裏でこっそり動くね。
わかったわ。それじゃ――
あんたたちを送り届けたら、私はここに戻る。地下を維持してくれている労働者たちと連絡を取るためにな。
あいつらは、皆してあの「偉大な」枢密官様に会いたがっているんだ。
けほっ、けほけほっ――
ズィマー?
……教官!?
どうして教官がここに来たんだ? 自治団の皆は来てないようだが……アイツらは元気にしてるか?
ええ、みんな元気よ。でも、今一番心配なのはあなたの方だわ。
この煙は一体何があったの?
パヴロヴィッチの手下が拠点を襲撃して、火を放っていきやがったんだ。アタシらへの報復とかほざいてな。
……全く笑える話だぜ。ここで何度も火を見てきたが、そいつが逆に、アタシの脳裏に焼きついてたチェルノボーグの火をかき消してくれたんだ。
ズィマー、もし今でもチェルノボーグでのことが――
いや、もういいんだ。気遣いはありがてえが……
友達や仲間が危険に晒されてんのに、自分の恐怖と向き合うかどうかでウジウジ悩むのは……アタシらしくねぇ。もう考えるより先に動くのに慣れちまってんだ。
それに、今のアタシにあるのは自分の拳だけじゃねぇ。
それって――
「団結」だ。
昔は、先頭を突っ走ることしか頭になかった。だが今は……後ろにはアイツらがいて、皆で同じゴールを目指してる。そう思うと、何だって成し遂げられる気がするんだ。
これからどうするの?
放火なんて非効率な方法を使ってきたのは、パヴロヴィッチのヤツがもう重火器を持ってねぇ証拠だ。
恐怖を煽ってるつもりだろうが、実際は弱さを曝け出したようなもんだ……絶好のチャンスだぜ。
明後日の早朝、パヴロヴィッチと決着をつける。
教官、アンタの力を貸してくれ。
もちろんよ。ところで、リェータもここにいるのよね? どこにも見当たらないけど。
ここが襲撃を受けてから、アタシらの戦友の拠点に警告しに行かせたんだ。ついでに、敵の本陣を一緒に攻める約束も取りつけようと思ってな。
もっとも、まだアタシらを戦友だと思っていればの話だが……
マトヴェイが、赤々と燃える小屋の前にぽつんと立ってた。
高くそびえる工場のせいで、小屋はあたしの記憶よりずっと小さく見えた。その火の手すら、燃え上がる工場の作業場の火に今にも呑み込まれようとしている。
マトヴェイは顔を上げ、炎から立ち上る黒煙や、へし折れた柱、それと空に舞い上がっていく、たくさんの破れた本のページを見つめていた。いつものように、穏やかな目つきで。
だけど、それは彼の小屋だ。マトヴェイが釘を一本一本打ち込んで建てた……無縛者同盟の拠点で、あたしたちの「家」。
誰がこんなことしたの!?
マトヴェイ、やっぱりあいつらが――
*ウルサススラング*! *ウルサススラング*!
ああ、ウクシク。来たんだね。
マトヴェイは、やっぱり表情を変えなかった。もしかしたら、あたしの目が涙でぼやけてたせいで、ちゃんと見えなかったのかもしれないけど。
マトヴェイはため息をつくと、しゃがんであたしの涙を拭ってくれた。彼の顔半分は血塗れだったけど、どこをケガしてるのかはわからなかった。
「こぼれたミルクを嘆いても仕方ない」――前に教えた言葉、まだ覚えてるかい?
覚えてるけど……ミルクみたいな高いもの、滅多に手に入らないよ! あたしなんて、新年の時に一回しか飲んだことない!
……
ずっと高いままじゃないさ。
アントーシャ、もし必要なもんがあったら……
不要だ。こっちにはまだ多少の備蓄と、お前たちと分け合った戦利品がある。
だけど、拠点を守ってるだけじゃジリ貧だろ……ソニアから伝言を預かってんだ。明後日の早朝、私たちは攻撃を仕掛ける。
目標は、あの外壁だ。
……
ソニアに伝えてくれ。無縛者同盟は、必ずパヴロヴィッチの前に姿を見せるとな。
機会を窺い、奴の本陣に奇襲を仕掛ける。俺たちがずっと前から決めていた作戦だ。
そういうことなら、ソニアに相談しねーとな。
勝手にすればいい。だが、俺はソニアの指示には従わない。それが俺の結論だ。
ただ、これだけは信じてほしい……
俺たちは、共に戦う者を決して裏切らない。
近衛軍直属大隊は、指令の通り封鎖エリアの外周部に分割配備されました。ただちに作戦を開始し、陛下のお迎えに移りましょうか?
いえ、もう少し待ちましょう。
しかし近衛兵からの情報によれば、間もなく封鎖エリアはさらなる混乱に直面すると――
だからこそ、我々はこの機に乗じて、傍観を決め込んでいる者たちの魂胆を徹底的に暴く必要があります。陛下の正確な居場所が公にされる前、そして我々が陛下を無事に宮殿へお送りする前に……
真実を知り、これを機に陛下に危害を加えようと企む不届き者であれ、陛下のご失踪に容易く揺らぎ、反乱軍に尻尾を振る日和見主義者であれ、どちらも早々に行動を起こすでしょう。
そして我々がなすべきは、その者たちを一網打尽にすることです。
ですが、彼らの内に己の過ちに気づく者がいたら?
その時は、陛下をお迎えする列の中に、焦りや興奮で歪んだお馴染みの顔が紛れ込んでいることを願いましょう。
これまで幾度となく繰り返された牽制と探り合いの日々の中で、陛下は彼らに十分すぎるほどの機会をお与えになったのですから。
……まるで、ウルサスがもはや末期患者かのような口ぶりですね。
その通りです。今はただ、病巣の切除が手遅れでないことを祈りましょう。