人々、我々 PA-8・戦闘前
千年のあと
違う、こんな言葉選びじゃだめだ。
「一面の雪解け水で、灰色の街並みを拭おう」? 「一箱の、しけた煙草を持ってこよう」? いや、どっちも違う!
彼は修正跡だらけの原稿を弱々しい月明かりにかざしながら、インスピレーションの枯れ果てた自分を嘆かずにいられなかった――こんな詩は、隣で眠る仲間のあやふやな寝言より聞くに堪えないと。
大火を経て、無縛者同盟の拠点は不気味なほどしんとしていた。冬の風が、なまくらな刃のように若者たちのあどけない頬を削いでいく。
まだ余力のある若者たちだけが、ささやくように語り合う。カビ臭いコートに身を包んだ彼らは、夜空の下では土くれのような姿でありながら、時折笑い声を漏らしていた。
……どうか夜空の星全てに、忘れられることのない名前を。
どうか忘却を望む者に、安くとも焼けるような酒を。
どうかこの僕に……
春へと向かう片道切符を……
ツンドラを吹き抜ける風に、この身を置くための……
わぁっ――!
うわっ!?
やっぱり君か……いつかは、君のいたずらになんて驚かないようになってやる。
またイタい詩でも書いてるの?
イタい詩なんかじゃない、どれも僕が心を込めた作品だよ。そもそも君に詩の良さなんてわかるのかい?
別にわかりたくないし。だって、そういうのをわかる人って、みんな毎日しかめっ面ばっかりしてるんでしょ。
マトヴェイからいくつか単語を教わったばっかりだし、手紙の宛先が読めるだけで上出来だよ。どうせみんなの手紙を届ける役なんだから。
それで、今度はどの女の子に届ければいいの? ――あたっ!
君に宛てた詩だよ、いたずらっ子ちゃん!
ひどい、子供を叩くなんて! この紙はもう没収ね。もう二度と書かせてあげないんだから!
大げさだなあ、丸めた紙で小突いただけじゃないか……でも、欲しいなら持ってっていいよ。
今回は……仲間のみんなに向けて書いてるんだ。だから、君もその中に入ってるのさ。
変なの……じゃあ、バッグに入れちゃうね。
それはそうと……
アントーシャが、出さなきゃいけない手紙を山ほど溜めてるみたいだよ。一度彼のところに行った方がいいんじゃないかな。
アントーシャって、毎晩あんたたちと一緒に夕飯を食べたり、休んだりしてるよね。どうして今日はいないの?
さあ? とにかく向こうにいるから、理由を聞けそうなら聞いておいてよ。
それと、コートのボタンはちゃんと留めときなよ。君が風邪でも引いたら、またアントーシャに怒られちゃうだろ。
えっ? アントーシャに怒られたことなんてないけど。
まいっか、じゃーね。
はあ、怒られるのは僕たちなんだよ……
やっほー、アントーシャ。
……毎度、そんな大声を出すな。
出したい手紙があるってユーラから聞いたよ。どれ?
ああ、少し多いぞ。
アントーシャは隅に行き、手紙の束を抱えて戻ってきた。
うげっ、めんどくさ……どれどれ?
一通目は、オドエフ区旧市街34番地宛てね。二通目はジェレーズナヤ区左岸通り15番地で、三通目がスパイス市場……
待って。この手紙、全部あんたが書いたの? それに、この住所はなに?
オドエフ区旧市街34番地はユーラの家だ。それからレフとヴィッサリオンの……
全員の家に手紙を書いた。あの枢密官を打倒した後に、何通送る必要があるか確かめてくれ。
明日、もし誰かが死んだとしても……せめてあいつらの家族が、ウルサスの公表する死傷者の一覧から訃報を知ることは避けたい。
……てか、なんで住所まで覚えてるの?
命を預かった以上、それがどこから来たかを知っておくのは当然のことだ……忘れることなどあり得ない。
お前にも以前聞いただろう。覚えていないか?
覚えてるよ。名前すらない孤児でびっくりしたでしょ?
……
ごめんごめん、そんな顔しないでよ。
あたし自身すら、そんなに思い詰めたことないんだから。ほら、おかげで手紙を一枚節約できたでしょ。
そういえば、この中にあんたとマトヴェイの家宛てのもあるの?
僕のはあるかもしれないけど、こいつのは絶対にないよ。
えっ、マトヴェイ?
大事な作戦の前は、いつも二人だけで会うことにしているんだ。
ビールは見つかったか?
ああ、最後の二本だ。腐った野菜くずの下に隠されていたものに、装備を整理していたリストが気づいてね。
……一本もらおう。
あたしも味見していい? 今すっごく喉がカラカラで――
君がお酒を? 絶対にだめだ。
えー、マトヴェイのいけず!
マトヴェイはウクシクの頭を優しく小突くと、アントーシャの隣に座って瓶を手渡した。
ねえ、マトヴェイ。どうしてさっき、アントーシャの家族宛ての手紙はないって言い切ったの?
自分が絶対に死なないと思ってるなら、作戦前に手紙を書いておく必要もないし……もしかして、ビビってる?
ははっ、それはないかな……
アントーシャは、もうずっと家族と連絡を取っていないんだ。
僕から話してもいいかい?
構わない、ただの昔話だ。
僕たちが知り合ったばかりの頃、他の人との雑談でアントーシャの話題になってね。
その時、うっかり「アントン・シェストフ」って名前で呼んじゃったのを、たまたま通りかかったアントーシャに聞かれたんだ。それから一ヶ月も根に持たれたよ。
アントン・シェストフ? なんだか偉い貴族みたいな名前だね。
大学に入る前、俺はその名を捨てて名付け親のもとを去った。
だが奴らも今となっては、息子を失ったことより、厄介事を起こす反逆者と縁を切れたことに安堵しているだろうな。
アントーシャの家族の話、初めて聞いたかも……
家族の人から、ひどいことされてたの?
俺の祖父は……自分を虐げていた地主を殺して家を興した。最後は伯爵として故郷に栄誉の帰還を果たした人物だ。
子供の頃、俺は祖父のような「英雄」に憧れていた。だから祖父の逸話を真似て、農夫たちと寝食を共にし、全ての「使用人」と友人になった。
家族からは体裁が悪いと咎められたが、一度も気に留めなかった。少なくとも、祖父だけは理解してくれると信じていたからだ。
しかし大きくなってから、俺はようやく多くの真実を知った……
たとえば、ある年老いた農夫が、不意に祖父とぶつかって転ばせてしまったことがあった。祖父はその老人に対し、罰として長年老人が飼っていた鼷獣を目の前で絞め殺すよう命じた。
アントーシャ、あまり話したくないなら――
それでも俺は、僅かな幻想を捨てきれなかった……サンクト・グリファーブルクの大学に合格した俺を祝うために、身内の盛大なパーティーを開いたあの夜までは。
あの日、俺と歳の変わらないメイドが、厨房に忍び込んで大量の食べ物を持ち出そうとした。母親や弟にも、貴族のご馳走を味わわせてやるためにな。
警察は彼女を連行しようとしたが、祖父はそれを拒んだ。
「今日はめでたい日だ。我が孫の栄えある成果を祝し、皆で幸福を分かち合おうではないか」と、朗らかな笑みを浮かべながら。
……
その二日後、サンクト・グリファーブルクへと向かう道中。郊外を通りかかった俺は、全身を鞭打たれた痣だらけの死体を見つけた。
警察に引き渡せば、たかが数日の拘留しか与えられない。しかし貴族の持つ「体罰の権利」だけは、彼女に「真の教訓」を与えられる……執事はそう言っていた。
だが、教訓を得たのは俺の方だった――瞼を閉じる度に、彼女のまつ毛をハエが這い回る光景が脳裏に浮かぶようになった。
それで俺は気づいた。貴族という存在がある限り、そして争いの末にまた新たな貴族が生まれる限り、抑圧は永遠に消えないんだと。
……アントーシャ、一つだけ言わせて。
一番辛かった毎日は、もう終わったんだよ。あたしたちは……きっと勝てる。
……
とにかく、明日……明日で、あたし――
彼女はろれつの回らない舌で続く言葉を囁いたあと、頭をこくりと傾け、マトヴェイの肩に寄りかかって眠りに落ちた。
アントーシャは、はっとしてウクシクが抱えたビール瓶を奪い取ったが、中身はすでに空だった。
ウクシク……いつの間に人を慰めるなんてことを覚えたのかと思えば。
俺のビールをこっそり飲むとはな……マトヴェイ、お前もしっかり見ておくべきだろう。
まあまあ……このまま寝かしておこう。ちょうど、どう言いくるめて帰らせるか困ってたところだ。
そろそろこの子を連れて行かないと。
でも、わかっているね? 僕たちの向かう先は……
ふっ……
手を貸そう。
本当のところ……君は僕の家族にも手紙を書いてくれたのかい?
必要ないだろう、お前を信じている。
……
僕は母さんに書いたけどね。少し前、まだウクシクが穴を通って外に出られた頃に届けてもらった。
何と書いたんだ?
「あと十日もすれば、この悲惨な場所を抜け出して街に帰れる」って。
いよいよ、その日が来た。
……
必ず戻ってこい。
マトヴェイは瞼を閉じ、小さく頷いた。
おやすみ、マトヴェイ……
夜明けにまた会おう。
ロザリン、あとどれくらいかかるの? もう一晩中いじってるじゃない。
急かすなって、私が直してんのはギターだぞ。布っきれのぬいぐるみじゃねーんだ。
ゴミの山から掘り出したっつってたよな? ペグが全部ぶっ壊れてるのに、そんな一瞬で直せるわけねーだろ。
明日はいよいよ決行の日なんだし、弾けるだけ弾いてみようよ。
チッ……ペンチ貸してくれ。
……全部確認したか?
うん、あの建物は安全だ。負傷者を収容しても問題ない。
よし。ミコライのところに行って、通りの両側の仕込みをもう一度確認してきてくれ。
抜かりなくやれよ。いいな?
任せて!
……また悪いタイミングで来ちゃったかな?
マトヴェイ?
どうした、そっちで何かあったのか? 必要なら手を貸すぜ。
ありがとう、でも大丈夫だ。
アントーシャはあそこまで言い切ったんだ……あいつの性格からして、飢え死にしても君に頭を下げないだろう。
僕が来たのは、この子のためなんだ。
マトヴェイは横を向き、背中でぐっすり眠っている少女を見せた。
おい、このニオイは……
僕らの目を盗んで、こっそりお酒を飲んでてね。
だから当分の間、この子を君に預けたい。人数と作戦内容を考えれば、君のところにいた方が安全だ。
……
リェータのところに連れていけ。まだクッションが何枚か余ってるはずだ。
よかった……
ありがとう、本当に。
実は少し心配していたんだ。前に君たちが口論になったから……
確かにアイツのやり方はいくらか冷酷だが……オマエらが本物の勇士だってことは、誰も否定できねぇだろ。
昔のアントーシャは……もっと情熱的なやつだった。
知り合ったばかりの頃から、変わった奴だとは思っていたけどね。振る舞いは大貴族そのものなのに、先生を捕まえてアルバイトの仕事がもらえる場所を聞いていたから。
その後、先生はあいつを指導しながら、貴族政治を批判する文章を共著した。でも当時の議会は処罰するどころか、先生を教育の監督役に抜擢した。
あの日、アントーシャは僕の手を握って言ったよ。「ウルサスにようやく希望が生まれた。これからは誰も苦しまず、皆が自由を手にする社会になるんだ」って。
その日を記念して、大学の庭園に二人でサクランボの木まで植えたりした。
でもある時、僕たちの出版物が摘発されて、先生はそのせいで命を落とすことになったんだ……
そうだったのか……
僕たちは退学処分になった。ウルサスが「寛大な処分」で済ませてくれたのは、先生が主犯の罪を被ってくれたからだ。
大学を去る前日、アントーシャはあのサクランボの木に寄りかかって、まだ葉もついていない枝を撫でながら一晩中座っていた。
……
そろそろロザリンのところに行かないと。改めて、本当にありがとう。
待て。
さっき、こっちの方が安全だって言ってたが……
なら、オマエもここに残らねぇか?
悪いけど、約束があるんだ。今夜交わしたばかりのね。
……いや、もっと前からかもしれないな。
もしかして……直ったんじゃない?
試してみるか。
おっ、チューニングはちょっとずれてるけど、とりあえず音が鳴るようにはなったな。
すごい! やっぱりロザリンって天才ね!
なんだよ、急に持ち上げやがって。おだてる暇があるなら、弾いてほしい曲を言ってみな。
んー……『故郷の川の上で』とか? それかリターニアの……
はあ? そんななよっちい曲、誰が弾くかよ。
こうしようぜ。私が即興でコードを弾くから、お前らは好きな歌詞を歌え。
えぇっ、そんなの難しすぎるよ!
ここには文学部の奴が腐るほどいるんだろ、今まで何を勉強してきたんだ? 歌詞の一個くらい捻り出しやがれ。じゃあいくぞ。
いち、に、さん……
……
打ち壊さん、冷たい鉄糸のクモの巣を♪
剥ぎ取らん、夜が纏う堅固な鎧を♪
そう――♪
全ては、凍土を破る新芽のため♪
雪中に、偽りの朝日を待たずして♪
うーん……うるさいな……
……マトヴェイ?
まだ連絡は来ないのか?
今何時だと思っている? ええ!?
パヴロヴィッチ様、二つのルート上にある警備塔の強化は完了しました。しかし――
警備塔のことなどどうでもいい! 私が聞いているのは援軍と補給だ!
ダニーラ・トレープレフめ……約束のクロスボウは? 大砲は? 戦車は? 軍隊はどこにいる!?
こちらは一万通も手紙を送ったんだぞ! なのに一文字も返事を寄越さないなど、よくもそのような真似ができるな!
落ち着いてください。我々は高性能のクロスボウを装備していますし、予備の射撃型飛行装置もあります。少なくとも閣下の身を守ることはできるかと。
「落ち着いて」だと? 「我々」だと!?
貴様らを雇ったのは、命からがら逃げ落ちて報酬を支払うためだけだとでも? 逃げ落ちたところで、奴らが私を見逃すとでも? そうなれば死んだも同然だ!
「隊長殿」、そんなに金が欲しいなら、総出であの小童どもを叩き潰してくるがいい!
そうは言いますが、今の閣下に雇えるのは我々程度。その上、戦力の半分はグロモフの方に回してしまいました。対して相手は数百人も――
貴様に言われるまでもない! 聞こえないのか? 奴らの歌声がすぐそこまで迫っているだろう!
あれは私に向けた弔いの歌だ!
……誰だ?
枢密官閣下、夜分に失礼。大尉のチチェーリンと申します。
大汗をかくほど暖炉を焚いておられるとは。どうやら、ここはさぞかし物資に恵まれているようですな。
貴様……いえ、あなたがトレープレフ公爵閣下の派遣してくださった援軍ですね? どうぞ、こちらへ。
いえ、公爵閣下はすでにカトルガ区への関心を失っておいでです。
な、なぜですか!?
公爵閣下のお考えを私が推し量ることは許されません、それが掟というものです。
ですが、公爵閣下の命を受けずとも、私があなたを支援するために来たのは事実です。
おお、おお……! 私はウルサスのため、このカトルガ区の管理に尽力してきました。我が国は必ずや、その忠誠に報いてくださると信じておりましたよ!
それで、兵士はどれほど連れてきたのです? 重火器はいかほどでしょう? どこに設置なさっても、必要とあらばこの部屋に大砲を置いていただいても構いません。それでは、お任せいたしますよ。
どうやら、閣下は何か誤解されているようです。
兵士はおりません、上官のご命令で軍警を三十名のみ従えて参りました。当然、重火器なども持ち合わせておりません。
なんですって!?
ただし、上官は閣下のため、こちらをご用意されました。
将校はアタッシュケースから手のひら大の黒い箱を取り出し、パヴロヴィッチに差し出した。
こちらは軍用の暗号化通信機で、外の砲兵陣地と直接繋がっています。
どうしても持ちこたえられなくなった時には……こちらの赤いボタンを押してください。我々が「適度」な火力支援を行います。
「適度」とは何ですか? 私は街ごと更地にしたいのです。
それは不可能です。砲弾は一発ごとに経費がかかり、土地も一平方メートルごとに所有権がございます――たとえカトルガ区であってもです。
ならば、源石矢は? あるいは爆薬でも構いません。それくらいなら持ってこられるでしょう?
こちらに。
そこでようやく、パヴロヴィッチは将校が小さなトランクを二つ携えていることに気づいた。
これも武器が暴徒の手に渡るのを防ぐためです。何しろ、閣下には以前多くの物資を供与したにもかかわらず、ほとんど学生に拾われてしまったのですから。我々は危機管理をせねばなりません。
わ、私があれほど汚れ仕事をやってきたというのに……
閣下、ここに揃う三十名は皆精鋭です。我々が閣下の命令通りに動くこと自体が、あの方々の誠意の表れでしょう。
それと、閣下は手中の「武器」を過小評価しておいでです。それを押せば、ウルサスはこの上ない「栄光」を授けてくださるでしょう……
パヴロヴィッチは呆然と立ち尽くしつつも、その言葉の意味を測ろうとした。汗ばんだ手に、冷たい通信機の感覚が伝わってくる。
そうだ……希望を捨てるわけにはいかない。皆様はきっと私を助けてくれる……あの寄せ集めになど、この私が負けるはずがないのだ……
誰か!
旦那、呼んだか?
貴様らのところに、動ける者は何人ほど残っている?
ええと……三、四百人?
ガキどもより多いなら十分だ。全員を叩き起こし、準備するよう伝えなさい。すぐにでもグロモフの仇を討たせてやる!
ウス!
そちらの者は、入り口に爆薬を仕掛けなさい。もし奴らが突入してきたら、全員道連れにしてイゴール大帝の御前に旅立とうではないか!
えっ……
大尉殿、あなた方には無縛者同盟の相手をしていただきたい。
侮ってはなりません。私は奴らと二ヶ月も対峙してきましたが、人数こそ少ないものの、実戦経験は豊富です。
何より、奴らは相手が貴族なら見境なく殺しにかかります……そのような連中に幻想を抱いてはなりません。議会も、奴らを外に出すつもりはないでしょう。
お任せください。
私の聞き間違いでなければ……誰かが向かってきているようです。
……ええ、行きましょう。
あの小童どもに、少しばかり痛い目を見せてやる時です。