相変臨界 17-16・戦闘前
前進あるのみ
……アナトリーさんは、なぜ今回は私を連れて行かないんでしょうか?
彼は一体、何をしに行くのですか?
知らずにいらしたほうがよろしいかと。
ですが、若将軍は決して、あなたとのお約束を違えるようなことはなさいません。どうかご安心ください。
……
ゼルグラード機密区研究所
1102年1月22日 09:11
……手を煩わせやがって……
ああ、どうか――どうかお助けを! 資料はすべてここに集めました! これで全部なんです!
ですが、それでもあの扉のことは……あの扉を開く方法だけは、本当に知らないんです!
アリタ主任以外には権限がないんです! ですが、彼女は……
……彼女は、もう死んで――あっ!
……
人だかりの最後方で衛兵に囲まれながらも、クリムは堪えきれず、薄暗い廊下に放置されたその遺体の方を何度も振り返ろうとした。
何も見えはしないというのに、それでも彼は、衛兵の剣の柄で強く頭を殴られるまで、神経質なまでに繰り返した。
(小声)大人しくしろ。
だったら、ここにいる奴らの中に……
僕のアクセス権すら機能しなくなった理由を、説明できる奴はいるのか?
この僕の権限が、たかがラボの主任なんかより低いとでも?
沈黙が流れる。いつ我が身に降りかかるともわからない災いを恐れて、誰一人として軽々しく口を開こうとはしなかった。
おい、死体に一番近いお前、答えてみろ。
……こ、この扉はごく一部の上級研究員にしか開けられない仕組みになっているのです。情報漏洩の防止、あるいはセキュリティ上の問題で――
この僕ですらダメだって言うのか?
ひっ――
まだ殺すな――言え、他の上級研究員たちはどうした?
……ぜ、全員、あなたに――
ああ、それは不運だったな。だが、そこまで事情を把握しているなら、緊急時の対応策も知っているはずじゃないか?
まさかないとは言わないよな? これほどの場所で。
それとも、知っているのに、僕には教えたくないってことか?
そ、そんなことは決して! すみません、私は知らないんです、ただ経験から推測をしただけで、それが私の仕事なもので――
すみません、若将軍、私は――
役立たずのゴミめ。
っ……
時間の無駄だ。右から順に殺せ。誰かが解決策を提示するか、全員が死ぬまでな。
元帥のご命令はどうなさいますか?
母上からの命令は研究成果を持ち帰ることだ。下のあれまで持って帰れとは言われていない。
僕が努力した結果なら、母上も咎めたりしないさ。
ほら、これこそまさに、僕が頭痛に耐えてまで……努力した結果だろう?
彼は無邪気な笑みを浮かべ、地面に転がる死体と血溜まりを指差した。
……はい、おっしゃる通りです。
まったく、あれはエネルギー供給が途絶えたら爆発するんだろ? なんで皆そんなものを巡って争うんだろうね。いっそ何もかも吹き飛ばして、ゼロからやり直したほうがマシなんじゃないか。
母上が、そんなもののせいでゼルグラードを諦める羽目になるなんて……チッ、忌々しい。
最後方に立つ男には、あまりはっきりと聞こえていなかった。周囲では、悲鳴、逃げ惑う足音、そして捕らえられて処刑される音が、自動化された工場のように機械的に繰り返されていた。
彼はもはや振り返ろうとはせず、ただその音の中で、一瞬だけ目にした妻の死体を思い返し続け……
自分でも気づかないうちに、膝から崩れ落ちていた。
……アリタ……
おい、立て!
立てと言っているだろう!
……
少年は手でジェスチャーを送り、衛兵を制止した。涙と鼻水にまみれた者が引きずり起こされ、脇へと放り捨てられる。それから少年は、膝をつく男の方へと歩み寄った。
恐怖に包まれ呆然とした者たちは、無意識に若将軍のために道を開けた。
お前は何を言っている? なぜ膝をついているんだ?
アリタ……
あの女の知り合いか?
できない……彼女を置いて、離れるなんて……
若将軍、この男はただの事務員で、雑務しか任されていなかったようです。おそらく、気が触れて腰を抜かしただけかと。
いいや、こいつはプロトタイプのコアがある場所にわざと部外者を入れたあの女の関係者に違いない。
他の連中より多くを知っているはずだ。刀でも何でも使って、そいつを正気に戻して――
アナトリーさん!
……ヒアダ? なぜお前が――
僕の言いつけを破ったな。
いいえ、約束を破ったのはあなたの方です。
破ってない!
では、そこに倒れている遺体や、震えている哀れな人たちは……それに、あなたの横で膝をついている方は、どうしてそんな姿になったと言うんですか?
あなたは今も――今でも彼らを傷つけ続けて、それと同時にあなた自身を傷つけているんです。軽々しく人の命を奪うたびに、あなたの抱える苦痛も増しているんですよ。
私にはどうしようもありません……あなたが堕落していくのを止められもせず、見ていることしかできないんです。このままでは、あなたは救いを得られなくなってしまいます。
そんなことない! 僕は救いを得られるんだ! お前がそばにいてくれたら――お前がずっと、そばにいてくれさえすれば!
どうして……どうしてどいつもこいつも、僕をそんなに追い詰めるんだ?
母上は僕にひどく失望しているし、この下僕共も僕を尊敬しようとしない……皆、僕のことを役立たずの化け物だと思っているんだ。まさか、お前もそうなのか?
アナトリーさん。
ん……えっ?
ヒアダは彼に歩み寄り、そっと少年の両手を握った。彼はヒアダより背が高いが痩せていて、その両手は思春期特有のアンバランスさを感じさせる、大きく分厚いものだった。
彼女はその大きな両手を握ったまま、ゆっくりと力を込めた。
あなたの言う化け物とは何なのか、私にはわかりません。ですが、本当の化け物は他人の視線に反応したりはしません。そういうものの心の中には、自分のことしかありませんから。
でもあなたは、他人に笑われたら怒り、友達が去ったら泣いて……痛みを感じていますよね?
あなたはこれまでずっと、自分の気持ちに反して、他人を傷つけるような行動をとってきました。それが自分自身を傷つけていることにも、もう気づけないほどに。
それでも、あなたも心の底では、そんなことをしたくないんだろうと私は信じています。今日あなたが見せた反応が、それを証明してくれましたから。
どいつもこいつも僕を追い詰めてくる、とあなたは言っていましたが……
でも、私は信じています。
それは……僕を信じてくれるってことか? じゃあ、僕のそばを離れないでいてくれるんだろう? そうだよな?
離れたくはありません。ですが、もしあなたがこのまま少しも変われずにいるようなら、離れなければならない時が来るでしょう。
あなたは疲れきっていて、このままでは倒れてしまいます。そうなると、私はその定められた未来へと進んでいくあなたを、見ていることしかできなくなってしまうんです。
……お前すら、僕を救いたくなくなったのか?
そうではありません。救いたくても、私にはできないんです。以前伝えた通り、あなたの体の痛みなら取り除くことができますが、心の傷までは癒やせませんから。
あなたの心の傷口からずっと血が滲み出ていることに、気づいていないのですか?
あなたはお母様の期待に応えられず苦しんでいます。でもそのお母様は、母親でありながら、なぜ自分の子供に対してそんなにも残酷になれるんでしょうか?
彼女は、あなたが本当はしたくもないようなことを――美しい都市を壊し、たくさんの無実の人の命を奪うようなことをしなければならない境遇へと、あなたを追い込んだんです。
あなたならその役目を担えると信じてか、あらゆる問題に向き合わせて……ですが、もしあなたに初めから選択の権利すらなかったのなら、彼女が信じたのはあなたなんでしょうか? それとも……
一つの道具なんでしょうか?
……
道具は替えが利くものです。でも、あなたは道具ではないし、ましてや化け物でもありません。そうですよね?
じゃあ、僕は……どうすればいいんだ?
ヒアダ、頼む、教えてくれ――
あるいは、お母様に証明すればいいのかもしれません。
あなたが道具ではなく、一人の生きた人間であることを。
ゼルグラード団地 第一エリア
1102年1月22日 12:32
……この近くの住民はほぼ全員集めました、先生。とはいえ、トーニャも頑張ってはくれたんですが、応じてくれない人もいて。
レユニオンが軍の哨所を奇襲してくれてるうちに、急ぎましょう。
……うん、ありがとう。ご苦労様。
私たちの命に関わる大事な話があるって言ってたけど、まさかまた嘘ってわけじゃないよな、トーニャ?
嘘なんかじゃない、絶対に。
そこには多くの者が立っており、彼らの顔には陽光が降り注いでいた。そのうちの大多数は穏やかな表情を浮かべつつも、集められたのが不可解だと言いたげな視線をトーニャに向けている。
一方の坑夫たちは、住民たちの様子に憤りを抑えきれなくなっていた。絶望的な光景を見てきた彼らの目には、偽りの平和に満ちた表情が憎らしく映るようで、袖をまくって拳を握り締めていた……
タルラ、出番だ。
どういう意味だ?
昔みたいに、あんたの一番得意なことをするんだ――前に出て、皆を鼓舞する言葉をかけてくれ。
レイド……私には、今の自分にその資格があるのか、確信が持てない。
「ポンッ」――
誰かがタルラの背中を叩いた。振り返れば、トゥーリンが彼女に微笑みかけてきている。常に冷静なその若きリーダーは、数歩前に出て皆の面前に立った。
ゼルグラードの皆さん! 私はイヴァン・トゥーリンといいます。後ろに立っている人たちは、皆私の仲間です。
私もあなたたちと同じく、ウルサスに酷使される一人の労働者として、北原の坑道で十数年も鉱石を掘り続けてきました。
あの頃は、毎日坑道から出てくるたびに、真っ先に頭上に広がる空を見上げて、雲の形を、陽光の温もりを、そして白樺の落ち葉を踏む音を心に刻み込んでいたものです。
そして、どこより危険で薄暗い坑道の奥深くへと潜る時にも、私は目を閉じて、そうした美しいものを思い描きました。そうすれば、すべてがすぐ目の前にあるように感じられたのです。
ですが、つい先ほど、私にはそれができなくなりました。
私は見てしまったのです。坑道より何百倍も暗い闇を――皆さんの足元、見えない場所で、尊いウルサス人の命が残酷に奪われてきたあとを。
何の話だ……?
我々が近くの独立区画から来たことをご存じの方もいるかと思います。その場所で我々は軍の研究所を発見し、彼らの秘密を知りました。
ゼルグラードがなぜ、他所の感染者を受け入れているのか。そしてなぜ、感染者が一ヶ所に集められているのか。疑問に思ったことはありませんか?
その理由は、第一軍の源石備蓄が底をついたことにあるのです! 彼らは病に侵された人々を薪として燃やし、あの石壁の向こう側でおぞましい実験を行っているのです!
感染者たちがどんなに尊厳の欠片もない方法で死に追いやられているのかなど、誰も知りたくはないでしょう――
俺の甥は、まだ重症でもなかったのに、鉱石病だからってあの軍人どもに連れて行かれたんだ!
まだチャンスは残っています。我々は今、第一軍に立ち向かっていますが、何よりまず皆さんの安全を確保しなければなりません。
私たちの安全って……どうして? おぞましい実験って何のこと?
彼らの実験は、未知の感染症を蔓延させる恐れがあります。皆さんの中にも、すでに見た人はいるでしょう。全身を覆う、あの緑色の腫れ物とシミを――
それどころか、そのせいで肉親を亡くした方もいます……これこそが、第一軍の犯した許されざる罪なのです!
その「奇病」の話を聞き、人々からざわめきが起こった。彼らは言葉を交わしては、互いの表情を確認し合っている。その中には顔を強張らせる者もいれば、トーニャの方を見る者もいた。
トーニャ、あんたの言ってた変な病気って、それのことだったのかい?
……うん。
軍の奴らは、あの変な病気にかかった患者をひそかに集めて、研究に使ってるんだ……集められたみんなの命を犠牲にして!
あたしの末の妹、ニーナと会ったことがある人も多いと思う。中には、あの子を抱っこした人だっているはず……
ニーナはその病気にかかっちゃったんだ。ナデジダ先生が治療を引き受けてくれたけど、その後であの軍服を着た悪党どもに攫われて……今は、もう――
あの子は……二度と帰ってこなくなった!
トーニャがニーナのおくるみを掲げると、ざわめいていた群衆が一瞬にして静まり返った。それは、多くの住民にとって馴染み深いものだったのだ。
おくるみに包んだ妹を抱きかかえ、工場や通りを行き来する。その時の、幸せそうに微笑むトーニャの姿を、彼らはよく知っていた。
でもそんな病気なんて、私たちは見たことも……
……マルクは見たはずだよね。ニーナが病気になったあとしばらく看病してくれたから。ねえ、マルクはどこに――
俺は……
あんた……マルクかい?
……あんな風に、お前の言うことを否定するべきじゃなかったよ、トーニャ。俺は怖かったんだ……
だけど……いつまでも怖がってるわけにもいかないよな。
彼は上着を脱ぐと、数歩前に歩み出る。すると、その体にできたおぞましい腫れ物が露わになった。周囲の住民たちは悲鳴を上げ、彼のそばから散り散りに逃げ出した。
そんな中、トーニャは慌てて彼を支えた。かつて親切で情熱的だった隣人は、今やひどく疲れて衰弱しており、誰もが恐れる病と傷を抱えて、歩くことさえ難しくなっていた。
……皆さん、ご覧になったでしょう。この不幸な方の姿を。
もしかすると、皆さんはまだ気づいていないかもしれませんが――
我々がこのまま行動を起こさず、ただ耳を塞ぎ、与えられた偽りの平和を享受し続ければ……
このような不幸は、いつ誰の身に降りかかってもおかしくはないのです!
第一軍の道徳家ぶった人たちは、外から聞こえる砲声を「民を守るためのものだ」と言い、消えた隣人たちは「治療を受けに行ったのだ」と言いました。
ですが、それは偽りなのです! 彼らは全員、卑劣な詐欺師だったのです! あの連中は囚人を殴りつける合間に、そうした嘘を考え続けていたのです!
「隠されたラボ」に医者などいません。いるのは虐殺者ばかりで、奴らは我々の同胞をカプセルに閉じ込めて、家畜を捌くように切り刻んでいたのです。
これが、ウルサスが我々に授けた「恩賜」なのでしょうか? あの人たちの悲惨な姿こそが、彼らの望むウルサス人のあるべき姿だと言うのでしょうか?
役人や銃を持つ者たちは、我々が作ったパンを食べ、我々が建てた家に住んでおきながら、我々を実験台の上に横たわる腐った肉に変えようとしているのです……
彼らの気分次第で、我々は鉱石病患者に仕立て上げられ、好きなように作り変えられてしまうのです。かつて彼らが、我々に貧困と苦痛をもたらしたのと同じように!
足元に広がる土地を見てください。この地は腐りきっています。数十年、数百年もの間蓄積されてきた、腐敗と血がもたらす悪臭に満ちているのです!
そして今、我々の前には、二つの道があります。
あの寄生虫たちの求める鉱石となり、彼らの言う「家」へ戻って、煙を吐き出す煙突の下へ送られるその日をただ待ち続け、軍が用意した墓穴に横たわるか――
あるいは私と共に、この袋小路から抜け出すか。確かに、この道には冷たい風が吹き荒んでいることでしょう。ですが、これは我々が生まれながらにして、自身の足で歩んでいくべき道なのです!
さあ、すべての子供たちを、家族を、友人を連れて行きましょう。
我々を虐げてきた連中が廃墟の前で泣き喚いても、放っておけばいいのです。彼らの空虚な魂にも、すべてを失う絶望を味わわせてやりましょう!
全ての人々の明日のため、私と共にこの墓場を抜け出しましょう!
最後の叫びとともに、民衆の間から熱烈な歓声が沸き起こった。それと同時に、見覚えのある数人の姿が現れた。レユニオンが、周辺の哨所を制圧して戻ってきたのだ。
トゥーリンの視線はレイドを、シルカを通り過ぎ、やがてまっすぐ前へと向けられた――拍手や歓声が徐々に小さくなるまで、タルラの両眼を見つめるようにして。
タルラは瞬きもしなかった。人々がトゥーリンを見る表情を思い返し、自身もかつてあのような表情を見たことに気づいた。
何年も前の広場で、人々は同じような目を自分に向けていた。「タルラについていけば、何でもできる」というような、希望に満ちた表情で。
タルラは笑みを浮かべた。それは安堵の笑みだったのだろう。彼女は、どこまでも続く荒野をずっと一人で歩いている時に、ふと並行して続いているもう一つの足跡を見つけたかのように感じていた。
そして、極寒の北原を共に歩んでいた無数の人々の姿を、再び見たかのようにも感じた。
……タルラ、トゥーリンの方は準備ができてる。あっちが他の工業区画の住民の避難を先導してくれるそうだ。俺たちは計画通り、そのために軍の注意を惹きつけよう。
クロージャさん、そちらはどうだ?
いつでも出発できるよ。今度こそ、何があってもあの石壁の向こうまで突入してみせるんだから。
私も行くわ。アナトリーは研究所に出向いているだろうから……一度は逃がしてしまったけれど、二度目は絶対に仕留めてみせる。
期待している。レイド、戦闘に深入りはするな。この場の人々を安全に避難させることを最優先としてくれ。
了解。
……気をつけてくれ、タルラ。
……クロージャさん。私にはまだ、レユニオンの皆に伝えておかなければならないことがある。あなたたちは先に行ってくれ。
わかった。シルカちゃん、行こっか。
人々がぱらぱらと散っていく。タルラがゆっくり振り返ると、赤髪のレプロバが少し離れた階段に座ったまま、じっと彼女を見つめていた。
さて、残ったのは私たちだけだな。
さあ、聞かせてみろ、お前の弁明を。日陰でひっそりと生きることもできただろうに、再び姿を現して、情勢を動かそうとするその理由を――
その前に、リュドミラ、お前に謝らなくては。
……なんだと?
お前だけでなく、当時ついてきてくれた、私が未来をもたらすはずだと信じてくれた人々にも……
彼らの多くは、もはや私の声に耳を傾ける機会すら持てないのだとしても。
お前がゼルグラードに来たのは、贖罪のためだとでも?
これで贖罪になるとは思っていない。私はただ……かつて成し遂げられなかったことを、成し遂げたいだけだ。
(小声)……もういい。
この後は、クロージャさんと石棺を探しに行くのか?
赤髪の若者は、振り返って街の外へ向かう人々に目を向けた。彼らの足音と、どこからともなく聞こえてくる砲火の音が、騒々しく辺りに響いている。
今は立ち止まる時間などない、それはわかっていた。これから話す言葉が、過去、あるいは未来のどちらについてであっても、無数の命が脅かされている今、それは最も優先すべきことではない――
それでも、彼女は口に出した。
いいや。
本来なら、手に入れた情報に基づいて、私自身が中に入り確かめるべきだった。だが万が一の事態を考えて、石棺を見つけなければならない他の連中に、あらかじめその情報を伝えておいたからな。
私の推測が正しければ……答えは、あの内側にあるはずだ。
……不思議なもので、つい最近になって気づいたんだ。本当は、多くのことを一人で背負う必要はなかったのだと。
……
それにお前も知っての通り、路地裏で戦うとなれば、私のアーツは軍隊一つ分に匹敵する役割を持つ。より多くの人を逃がすための援護として、この煙はかなり有用なはずだ。
お前の父はかつて石棺にすべてを捧げたのだろう。これは、考えを変えろという説得ではない。だが、未練があるのなら――
聞け、タルラ。私はかつて、お前を恨んでいた。無力な自分を恨むのと同じようにな。
リュドミラ……
私はあの嘘と裏切りの数々を恨んでいた……しかしある日、自分を縛りつけていたはずの思いが、もはや重荷ではなくなったと気づいたんだ。
それから次第に、自分の為すべきことが増えていった。たとえば今は、そろそろあの人たちと共に出発しなければならない。
イヴァン・トゥーリン……立派な人物だな。
ふん。その名は聞いたことがある。ナイフのように鋭いあの文章はなかなかのものだが、人としてはまだ観察の必要があるな。
どうあれ、私はもう完璧なリーダーなどというものは信じない。
お前が正しいのかもしれないな。
さて、どうやらこれ以上行動を共にする必要はないようだ。私たちはお互いに、それぞれの戦場がある。私はより多くの人を逃がさなければならないし、お前は……
かつて成し遂げられなかったことを、成し遂げなくてはならないのだろう?
……ああ。
そうしよう。
「リヴァーノフ号」強襲艦 司令室
1102年1月21日 16:59
……だったら、俺からも……最後に一つ、頼みがある。
ほう? 今更、何を材料に要求するつもりだ?
この「リヴァーノフ号」が、今の第四軍で最もゼルグラードに近い部隊だという事実だ。
俺に選択の余地があることは理解してるだろう。第一軍との開戦を直接「支援」し、最後の悪あがきで共倒れを狙うこともできる。
大人しく運命を受け入れるより、シルカ少尉との死後の再会を選ぶと言うのか? ふん、実に感動的だな。
そう思うなら、もう一度だけ彼女の声を聞かせてくれ。
最後に、もう一度だけ――
それが叶えば、「セーチン」はお前の望み通りに動いてやる。
……
彼女を連れてこい。
お慈悲に感謝いたしますよ、総司令閣下。
……スチョーパ――
それは、これまでと――途切れ途切れの通信の中で、何度も状況を報告してきた声と、まったく同じものだった。
それは、傍にいる時や、向かい合って話す時の声とはまるで違っていた。戦場の、あるいは訓練の中で、感情を読み取ることすら難しい緊迫した状況下で耳にする――
これまで通りの、落ち着いた、冷淡な声。
……シルカ、必ず見つけ出してやるからな。
やめて――やめて、スチョーパ。私のためにそんなことしないで。
これは、お前に限った話じゃないんだ。鉱石病になったというだけで、戦友が追放されるようなことは二度とさせない。
全員、必ず連れ戻す。
……思い上がりも甚だしいな……
俺は今からここを発つ。
その前に、一つ教えてくれ。俺たちが別れる間際、お前が俺に言った最後の言葉だが――
もういい、彼女を連れて行け――
――あの時、お前はなんて言った?
……
連れて行け!
ラージン少佐、君の要求はすでに果たした。付け上がるな。
ああ、もうこれ以上は何も望まないさ。
少し感傷的になっただけだ。あいつは、最後に言ったことも思い出せなくなったようだからな。
だが、俺は忘れたりしない――「死が訪れるその時まで、あなたと私はもう会うことはない」だ。
ふん、残酷な女だ。
通信を切れ。
了解!
スチョーパ・ラージン! 貴様――
スチョーパ、あれは本当にシルカだったのか――
俺は本当にバカだったよ。
なんだって?
あれはシルカじゃない。最初から別人だったんだ!
戦争術師が共有通信から傍受した内容をもとに、シルカを真似て話してたんだ! クソッ、俺はなんで今まで気づけなかった!?
それであの短剣を持ち帰らせてくれなかったのか。あれもアーツで作ったものだから、あまり長くは形を維持できなかったってことか……
さっきのがシルカじゃないってのだけはわかった。それに確証はあるのか?
奴らはシルカの話し方を必死で真似て、そのうえ信憑性を出すために、捕まったあいつが自殺しようとしたって話まででっち上げた。だが、今思い返せば何もかもおかしな話だ。
戦争術師には、記憶を読み取ることはできない。だからシルカが俺に何を言ったかなんて知らないんだ。
それに、あのお嬢様は捕まったくらいですぐ自殺を試みるようなタマじゃないだろう。死ぬにしたって、何人か道連れにするはずだ。
はっ、お前でもすぐ気づくようなことに気づけなかったなんて、俺は本当に底抜けのバカだな。
それで、まだエフゲニーの野郎なんかに従うつもりか?
……いいや、もちろんやめにするさ。
オレグ、艦内にいる隠密系のアーツを使える奴を、全員甲板に集めてくれ。俺が教えたやり方で、座標ネットワークから一時的に「リヴァーノフ号」の存在を抹消するんだ。
エフィムは設備の調整を。艦全体を隠し終えたら……
全艦に放送を行う。
「リヴァーノフ号」強襲艦 上層甲板
1102年1月21日 21:43
ん? ボスからまた何か指示が来てるな。
また船から降りろとか言うつもりじゃないわよね!? そうなったらボイラー室に隠れるしか――
「リヴァーノフ号」全艦に告ぐ。こちらはスチョーパ・ラージン。
随分と畏まってるわね……どういうことなの?
まずは、俺がこれまで下した愚かな決定を一度忘れてくれ。あるいは、全部片付いた後で思う存分笑ってくれても構わない。
今から俺が伝えるのは、もっと重要な、別のことだ。
俺は「セーチン」の指揮権をオレグ・フメリニツキーに委譲した。皆もよく知ってる通り、尊敬に値する良い奴だ。
なんですって?
指揮権の委譲って……
ボスはどこかに行くつもりなのか?
……あの十二月の掃討以来、俺は何度か考えた。「自由民」――あるいは俺たち自由民からなる「セーチン」とは、何を意味するものなのかを。
平時には、俺たちは陛下に代わり移動都市外の広大な土地を管理する見返りとして、比較的優遇されている。だが同時に、襲い来る天災に耐えて、絶え間ない移動と離散を繰り返さなければならない。
そして戦時下では、俺たちは勇猛な戦士にして、各軍が手にする何より鋭く機敏な武器となる。にもかかわらず、常に外を彷徨う羽目になり、組織に溶け込めもせず、まともな最期さえ迎えられない。
……
これから先も、ずっとこのままなのかと考えた。長らく、俺たちのような非ウルサス人はそうやって生き、そうやって死んできたが、これは正しいことなんだろうか?
そうして考え抜いた今、俺にははっきりわかった。何も正しくないんだってな。だからこそ、俺たちは現状から抜け出さなくちゃならない。
……実のところ、こんなことにはもっと早く気づくべきだった。俺たちが各所を転々とした後、第四軍に合流するよりずっと前にな。
遥か昔の先祖が打ち立てた功績は今や忘れ去られ、ごく最近の、俺たちの親の代ですら、大反乱で双方の先陣を切って戦ったにもかかわらず、歴史に名を残すことはなかった。
今、俺たちはその人たちと同じ轍を踏み、暗中の死という結末へとまっすぐに向かっていくしかないのか?
いいや、そんなのは御免だ。
その通りだ……
指揮官として、皆のために勝ち取ることこそが俺の義務だ。そうして勝ち取れるものが、現状を打破するための、たった一度のチャンスでしかないとしても。
甲板で、制御室で、ボイラー室で、倉庫の片隅で、無数の者たちが顔を上げて指揮官の宣言に耳を傾け、無言で頷くか、あるいは戸惑いながら待っていた。
彼らはその言葉の意味をすべて理解したわけではなかった。しかし誰もが心の底から賛同しており、それぞれの胸の奥には何度もさざ波が立っていた。
そう、シルカはエフゲニーに捕まってなんかいなかった。俺たちは全員、奴に騙されてたんだ。
奴があんな卑劣な計略を使って、情け容赦なく俺たちを肉壁として扱い、第一軍との衝突の最前線に送り込もうとしている今――
俺たちはもう、座して死を待ってちゃいけない。
死んだ何人かが言ってた通りだ。これまでは俺たちの目に入っていなかっただけで、ウルサスは今まさに業火の中にいるんだってな。
北部の採掘場は閉鎖され、中部の工場も機能停止に陥った。怒れる労働者たちは武器を手に街へと繰り出し、学生たちでさえ細い拳を振り上げている――
今こそ、ウルサスが俺たちと交わした約束を果たさせる時だ。
俺はこの船に乗る者たちが、二度と恐怖を振りまくことも、平民を虐げることもないようにしたい。
俺は第四軍を、そして俺たちを武器としてしか扱わないすべての場所を抜け出したい。
たとえヴィイの顔を拝むことになろうとも、俺は「自由民」の、真の自由を勝ち取りたいんだ。
ふぅ……
ここに宣言する。「リヴァーノフ号」はゼルグラードへの進軍を中止する! そして以後、特殊戦術兵団「セーチン」は、第四軍の所属から脱却する!
この件は俺が直接エフゲニーに――
――誰だ!
反逆、扇動、上官への抵抗……
貴様らは軍法に従わず、命令に背いた。
従って……万死に値する。
次の瞬間、周囲の空間が突如として変化し、スチョーパは自分が艦内ではない独立した空間へと引きずり込まれるのを感じた。
「モールヴァン」――これは、見かけは「凍結した空間」でありながら、尋問を受ける者の脳と身体に、常に焼かれるような痛みが走るというアーツだ。
スチョーパは、これが単なる幻覚であることを知っていた。だが、この幻覚から抜け出すためには、全神経を研ぎ澄まさなければならない。
エフゲニーの親衛隊……戦争術師か。
数年も経てば、見慣れない制服になるもんだな。育成機関が代替わりでもしたのか、あるいはエフゲニーがお前らにつけた注文か?
戦争術師は答えず、手を上げることさえしなかった。それにもかかわらず、幾筋ものアーツが鋭い矢のように放たれ、彼の肉を切り裂いた。
それは警告だった。
くっ――!
特殊戦術兵団「セーチン」指揮官、スチョーパ・ラージン少佐。
第四軍総司令、エフゲニー・クズネツォフ様の名において、貴様に最後の命令を下す――
「部隊を指揮し、前進を続けよ。ゼルグラードに到着するまで、一切の停止を許可しない。」
仮に「リヴァーノフ号」の進路に少しでも逸脱が生じた場合、あるいは減速の兆候が見られた場合、この艦の乗員全員が即座に死に絶えることになる。誰一人、例外はない。
その後、貴様らの死体を乗せた艦は、引き続きゼルグラードへと向かうことになるだろう。